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お盆はこんな車で旅したかった
2011.08.14
仕事場の駐車場にとまっていた車。
おっ!この車、ジャロジー(ルーバー窓のこと)が付いているではありませんか。
中をのぞいたら、流し台も付いていてキャンピングカーともして使えるようだし、
ジャロジーが付いているから風も入りエコ、そして安心して寝られる。
でも、蚊がいたら刺されるなー、と住宅作家らしい疑問がわいたが、
チャンと網戸も付いている、建築的車ではありませんか。
車のことはそんなに詳しくないのだけど、
この車、フォルクスワーゲンのタイプ2と言う1970年代の車で、
僕が最初に車を買った時に、友人から「泉さんはこれだよねー」と勧められた車だから、たまたま知っていた。
結局、この車は買わなかったけど、今見ると本当に楽しそうな車だ。
http://www.safetv.me/watch/ZWoJSIszc_s/VW-Buses-over-Skyway..Arrival-at-park.html
春を恨んだりはしない Ⅱ
2011.08.09
池澤夏樹さん、有名な芥川賞作家だけど、この人の名前はなかなか覚えられない。
知っているんだけど、どうしてもスッと出てこない名前の一人。
むしろ、昔の人だけどこの人のお父さん、福永武彦の名前の方はスッと出てくる。
で、なかなか思い出しにくい名前の池澤さんが、3.11の後、新聞で連載しているコラムがよく、いつも読んでいる。
池澤さんは昔、物理学を学んだ小説家だからか、明快な論理の展開を維持しながら、上っ面でない深いところまで話をもって行く。
反原発の論理で何時か書いた高木仁三郎さんもそうだけど、池澤夏樹さんの文もいい。
そう長くはない文なので、是非ご一読を。
次を開けると、「楽しい終末」「光の指で触れ」がDownn Loadができます。
http://www.impala.jp/3.11/index.html
何てことはなく・・・
2011.08.08
上の写真は何という木の木目だと思います?
建築関係者だったら知っているタモ(梻)の木目のようです。
しかし、これはペンキ職人があっという間に描いたフェイク。
この木目を描くのにスイスイと、1分とかからない。
前回書いた「家づくり学校」の生徒たちと見た、アッ!と驚く神業です。
この職人さん、木目だけでなく、石目(石の模様)などいろんな素材のテクスチャーをスイスイと書いていく。
つまり素材の特徴をとらえ、どのような道具で、どのように使えばいいかを考えだす才能があるんでしょうね。
僕はフェイクな素材は使わないけど、この才能には脱帽!
何てことはないんだけど・・・
2011.08.01
まずこの写真を見てください。
写真のコーナーはどのようにしてヘアライン仕上げにしたか?
不思議、と思いません?
建築の仕事をやっている人だったら誰だって知っていることだけど、
ステンレスの表面に細い筋、、髪の毛(つまりヘア)のような細い筋を、
ワイアーブラシで引っ掻いて表面を仕上げること、をヘアーライン仕上げと言います。
では上の写真の角の部分は綺麗にヘアラインがトメになっているが、
それはどのようにして仕上げたか?
まず考えられることは、
1.あらかじめヘアライン仕上げをしたパイプを45度に切断し、そして溶接した。
しかしこの方法だったら溶接あとが残り、このように綺麗にはいかない。
2.パイプを溶接した後、ヘアライン加工をする。
この方法では、果たして45度の止め加工部分がこのように綺麗にいくか?
先日「家づくり学校」の学生諸君と町工場の見学に行ってその答えが分かった。
答えは、結局2なのだけれども、
下の写真の道具を使ってやります。
まず片方のパイプに適当に広めにヘアラインを付けます。
次に、右寄り上の平たい板を、ヘアラインを施した方に45度の角度を付けて置き、
もう片方にヘアライン加工をする。
写真で見ると、
わかってしまえば、どってことないけど、
コーナーで二つの部材をつないだように見えます。
モノ造りの現場って面白い。
へー、こうやるの、と、
純粋な感動があります。
どこかでコーナーのヘアラインを見たら、
このことを思い出してください。
この木かわいそうな木
2011.07.22
自宅からだと西武線の東長崎駅をよく使う。
その駅前広場に何とも哀れな木が一本立っています。
以前はもう少し枝が張ってたのに…。
しかもカンカン照りの夏の太陽の下で。
いつの間にか、誰かが切ったらしい。
近くに寄ったらこんな看板が。
この木も情けなくなってしまったが、
このようなセリフの看板を立てなければならないことに、
笑うしかない情けなさを感じてしまった。
建物を建てて、植栽を施すときに気を使うことは、
隣家の敷地に枝がはり出さないようにすること。
僕の家だったら隣の枝が張り出してきても、余ほどでない限りうれしくなると思う。
多少は木々が隣家と連なってたほうが街並みは美しくなる。
でも、人によっては隣の木が越境することに頭に来るらしい。
木をミダリニ切ってしまう人、木が越境すると怒る人、
人さまざまなのは当然としても、
こういうさまざまってあり?
作品集Ⅴ
2011.07.11
作品集を作っている時、出来上あがったら何人かの方には是非お送りしたいものだ、と思いながら原稿を書いていた。
その中の一人が中学1年生の時の担任のM先生。
今までにお世話になった方々が沢山いる。
例えば幼稚園から沢山の先生に教わってきたように。
でも先生のうち半数以上が他界されたのではないだろうか。
しかし、中学1年生の時の担任の先生は、大学を卒業されたばかりで赴任されたピカピカの新米の先生だった。
だから僕より10歳上で、多分ご健在のはずだと思い、
田舎の教育委員会に電話して聞いてみたらご健在ということが分かり、
現住所を教えてもらった。
M先生には是非本を送りたいと思ったのは、私たち生徒に純粋に真摯に向かい合って下さっていたからだ。
とても真面目ではあるが、かたぐるしい真面目さとは違って、
何事にも一生懸命に立ち向かわれることが子供心に伝わってきていた。
だが、その後年賀状一つも出さずに失礼していたが、心の中には印象深く残っていた。
でも、本をお送りしたが、なかなか返事が来なかった。
本が届かなかったのではないか、届いても僕のことは忘れてしまわれたのだろうか、
それともあまりいい印象の子ではなかったのではないか、
などと思いめぐらしていた。
ところが、先日分厚い長文のお手紙を頂いた。
本をお送りし、大変喜んで頂いたのがわかり、本当にうれしかった。
本を全部読んで頂いたから、なかなか返事が来なかったのであろう。
僕が中学一年生の時、新米だった先生はもう退職されて10年になっていた。
50年振り、半世紀後の音信だった。
主婦力
2011.07.07
先日送って頂いた南三陸のトマトで作ったパスタ。
冷やしたトマトとタコ入りで、
サッパリして、夏にはぴったりの味。
そのパスタ7人分が事務所の昼食のテーブルに上がった。
この7人分をあっという間に作ったのは泉事務所に20年近くいるⅠさん。
彼女は建築模型作りの達人で、
事務所の模型のほとんどを作っているが、
実は双子のお母さんでもある。
双子を育てているお母さんとあって、
さすがに料理の手際がいい。
アッ、と言う間に作ってくれた。
皆で美味しい、美味しい、
外で食べたら1.100円だよねー、と言いながら食べた。
地震・津波・原発 Ⅷ おとなにとっての日常は、働くこと
2011.07.04
一昨年建てた建て主さんから真っ赤なトマトが送られて来た。
トマトは津波で大きな被害を受けた南三陸、小野さんのトマト。
建て主さんがこのトマトを応援していることはブログで知っていたが、このブログの一文がいいんですね。
募金や物資、ボランティアも必要かもしれない。
でも、一番必要なのは、「日常」です。
おとなにとっての日常は、働くこと。
働いて、自分でお金を稼いで、それで生活すること。
働く場があれば、先が見えてくる。
小野さんの働きが、地元の人の働きを生む。
それを支えてください。
で、このトマトを使って作った美味しいパスタを、お昼に皆で食べた。
その一品がまたまた素晴らしかった。
その紹介は次回のお楽しみ。
自邸 Ⅶ 家守
2011.07.01
家に帰ると玄関先の漆喰の壁でいつも待っているのがヤモリ君。
湿度の高いこの季節になると現れる。
始めて見た時、アッ何かがいる、
とビックリしたが、よく見ると可愛い。
手が赤ちゃんの手のようだし、
5本の指がペタッと壁にくっついている。
目も可愛い。
腕と足の角度も何とも言えない愛きょう。
明かりに照らされた白い壁に集まる虫を待っているのかも。
ヤモリって、守宮とか、家守と書くんですよね。
こんなに可愛いヤモリ君が守っていてくれるなんて、嬉しくなってしまう。
壊されないだけ良かったけど
2011.06.24
軽井沢の駅の横に、旧軽井沢駅車が保存してあります。
そのことは以前から遠目で知っていたが、
レンタカーを借りるために目の前を通ったたら、
なかなか綺麗な建物ではないですか。
優美だし、細部も丁寧なデザイン、いい仕事をしている。
屋根は菱葺(ひしぶき)の板金(ばんきん)。
破風(はふう、屋根の左側についている板)の先端はそのまま下ろさず、
ちょっとだけ水平に伸ばしている。
しかもその部分にもチャンと板金をかぶせてある。
下側は水切れもいいように、控えめな彫刻を施してある。
その他にもよーく見ているとこまごまと気を使っていることが分かる。
でも、この建物が実際に使われていたころ、つまり新幹線が通る前だと思うが、
僕も見ていたはずだが、こんなに綺麗だったかなー?
新幹線が通るようになって機能も変わり新しい建物になったのだろうが、
もっと綺麗に使っていたら、新しい駅舎に取り込むことも考えたのではないだろうか。
新歓コンパ
2011.06.22
新歓コンパ、懐かしい言葉だと思いの方も多いでしょう。
先日僕らの仲間でやっている「家づくり学校」の新歓っコンパをやった。
「家づくり学校」は4年間で卒業だけど、現在3年生まででき新入生の歓迎コンパというわけ。
ごらんのように、学生諸君は30歳前後。
勉強するのは通常20歳とちょっとまでだけど、
建築は大学で教わることはホンの基礎。
それに大学で教わることは実社会から大きくかけ離れている。
そして建築の設計を目指す人の多くが、実社会に出ると壁にぶつかる。
今、彼らが一番本気で学ぶ姿勢があるのではないかな。
作品集 Ⅳ
2011.06.17
自分が書いた本が売れているかは気になるもので、
事務所の近くのジュンク堂へ行ってみた。
本棚に他の本に挟まれて一冊くらいはポツンと置いてあるかも?と思い行ってみたら、
何と!!平積み、と言うか立積みになっていた。
なんだか照れるなー。
さらに、じゃー先日紹介した「住宅作家になるためのノート」はどうなっているかと思いそちらを探したら、
こちらも立積み、2~3年前に出した本なのに。
設計をやめてチョジツギョウになろうか、なんてはもちろん思いもしません。
何たって専門書だから売れる冊数なんて知れてるし、むしろ労力を考えたら持ち出し。
ベストセラー作家にならないとそんなことは不可能。
でも、本を出せるのは光栄なことで、また読んでくれる人がいることはありがたい。
ところで、僕の作品集は専門書のところにおいてあるので、大きな本屋が近くにない方は手に入りにくいことと思います。
風土社に電話(03-5281-9537)で注文も可能とのこと、もちろんAmazonでも購入可能、です。
住宅設計師筆記
2011.06.06
似たような本です。
本の表紙のデザインはホボ同じだけど、
でも、文字が違う。
実は2年前に仲間と作った本が中国で翻訳されて出版された。
(海賊版ではなく、チャンと日本の出版社の許可を得、
僕にも雀の涙の印税が入ることになっている)
日本で出した本の名は「住宅作家になるためのノート」だったが、
中国語名では簡体字だけど、多分「住宅設計師筆記」と読める。
ありがたいことに中国で出版されるとは思いもしなかったが、
どのように読まれるんだろう?
日本独自の世界で通用する内容と思っていたのだが・・・・。
それとも出版するぐらいだから、何か共通の状況でもあるのだろうか。
一度中国の建築家に、どうして?と聞いてみたい。
Apartmentふう
2011.06.04
京王線八幡山のApartmentふうは昨年完成した集合住宅です。
設計途中に完成予想模型をこのブログに載せたことがあります。
この敷地には路地状の道路から入るが、
この道路からさらに旗竿敷地になっていて、敷地自体も細長い。
完成して一年、植物の力は偉大なもので、随分伸びた。
路地上道路の入り口には、
「Apartmentふう」の小さな看板。
看板の後ろのつる植物は定家葛(テイカカヅラ)、今小さなかわいい花をつけています。
ここから敷地だが、藤棚の下を通って建物に至る。
藤の花の下を通って家に帰る、いいでしょう?
今年は花をつけなかったけど来年には咲くでしょう。
敷地内をどんどん進むと最奥にはオーナー住戸。
集合住宅を作るには難しい敷地だったが逆に、
このようなシーンが次々と生まれる風景を生み出すことができた。
来年がさらに楽しみだ。
地震・津波・原発 Ⅶ
2011.05.31
京都大学原子炉研究所の小出さんはとうとう国会にも出ましたね。
ところで、反原発、エコロジーの理論的支柱と言われる人に高木仁三郎と言う人がいます。
原発問題でいろんな情報を読んでいると、何度も高木さんの名が出てくるので気になり、
今読んでいるのがこの本。
建築にかかわっているからエコロジストの本の内容はおおよそ見当がつくが、
読んでみたら全くの見当外れ。
ギリシャ哲学から起こし近代科学批判にまで至る本格的な理論書。
この批判が僕にとっては近代建築批判と重なり、ちょっと興奮気味です。
たぶん建築だけではない、ほかの分野にも通じるかもしれない。
こんなすごい本があるとは知らなかった。
プレモダン
2011.05.27
3月12日に長野での公演の予定があったが、地震の翌日で交通網が大混乱。
そんなわけで先日長野で改めて講演。
長野の駅を降りたら、かっこいい看板。
畳一枚くらいのデカさ。
本物の善光寺の看板のレプリカだが、なんたって長野のシンボル。
駅にも飾ってあるわけだ。
それにしてもなかなかの文字。
モダンで、こじゃれたのより存在感がある。
伊勢に行ったときにもいい看板を見た。
今このようなデザインができなくなったのは何故?
津波・地震・原発 Ⅵ
2011.05.23
津波による被災地を見てきた。
被災地と言っても宮城県だけ。
仙台でレンタカーを借り、太平洋側の海沿いを松島から、石巻、南三陸、気仙沼へと北上した。
この辺りは以前、屋根に葺く天然のスレート石を見に行ったことがある程度で、初めての地ばかり。
松島はほとんど被害なし。
周りの地域が壊滅状態になっているのに、ここだけは5月の陽気にのんびりと何もなかったかのよう。
沖の島々が津波を防いでくれたのか。
You Tubeで南三陸をはじめ凄まじい津波の映像を今迄見ていた。
しかし、行ってみたら人影もほとんどなく、あっけにとられるほどに何もない。
それはそうだ、津波でみんな持っていかれたから当然と言えば当然。
それに家々があったころの南三陸を知らないから、無か有を想像するようなものだ。
しかしかつての街中を歩いていたら赤いジャージーが目に付いた。
誰かのものであったに違いない。
この持主は助かったのだろうか?
やっと被災地の悲しみが込み上げてきた。
気仙沼では本当に船が陸上に乗り上げていた。
それも何隻も。
丸一日の慌ただしい視察だったが、
正直に言えば、気が抜けるほどに静かで、
たくさん見た津波の映像や被災者の姿からは程遠いものだった。
やはり僕らは当事者(被災者)ではない。
当事者(被災者)のことは想像力でしか理解できないのだろう。
良かった、デモをせずにすんだ
2011.05.07
先日浜岡原発のことを書いたら、
早速昨日、菅首相が全面停止を指示した。
僕が書いた、わけでは勿論ないのだが、
多くの人が思っていて、そういうことになったのでしょう。
それには巨大メディアの新聞やTVでない、新しいメディアの役割も大きかったと思う。
菅さんはボロボロになるぐらいに右から左からと殴られっぱなし。
よく耐えてるなーと思っていたが、
大英断だった。
それにしてもメディアはひどい。
停止指示に対して、電力は足りるのか、唐突すぎる、地元の経済はどうなるのか、人気取りに過ぎないとか・・・・。
そんな問題ではないでしょう!
政、官、財、学、メディアがいわゆる『原子力村』を作って来たわけで、
その馴れ合いの構造にだれも手を出せなかった。
菅さんはよくやったと思う。
浜岡が再開するようなことになれば、本当にこれはデモを起こさなければならない、と思っていた。
今回の停止は日本国民が賢くなってきた証じゃないかな。
いつも書き込みしてくれているオジャマ虫さんのお勧めを紹介しておきます。