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2016年01月の
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亜米利加旅行Ⅵ 太平洋のあっちとこっち ⅱ
2016.01.28
先日書いたシーランチは日本とは反対側で太平洋に面して建っている。
その海岸の写真です。
この写真の左ににシーランチが建っている。
ところで「木の建築賞」の審査で茨城県の五浦(いずら)へ行った。
この建築賞については後日書くとして、
五浦には岡倉天心が思索の場所として作った六角堂があり、せっかく来たのだから寄ってみることにした。
この六角堂もやはり太平洋に面して立っている。
この海岸に立ち、数か月前に見たシーランチはこの太平洋の向かい側にあるはず、
と思うと不思議な気持ちになる。
あの時はこちら側を見ていて、今は見ていた方から見ている。
その二つの視線は想像上でしか交わらない。
しかも、この六角堂とシーランチの緯度はほぼ近く、太平洋を間に挟んで、あっちとこっちで向かい合っている。
思わず、シーランチと六角堂、比較すること自体に無理があるような気がしないでもないが、突拍子な比較がいろいろと思いを巡らさせられる。
下の写真はこの六角堂に至る小道です。
何と美しい!切通(きりとおし)の道であることか。
広い芝生の庭を前にした天心の住まいも素晴らしい。
日本の文化と、アメリカの文化が違うのはもちろん、それに二つの建物の評価軸は違う。
しかし、日本の建築界においてアメリカのシーランチはよく知られているにもかかわらず、
この岡倉天心の居所についてはあまり知られていない。
もっと足元を見るべきではないか。
亜米利加旅行 Ⅴ 太平洋のあっちとこっちⅰ
2016.01.24
成田からサンフランシスコで乗り替え、ボストンへ行く予定だったが、
入国審査にずら~りと人が並び、ボストン行きの飛行機に乗り遅れ。
何と、次の日の飛行機しかないとのことで、サンフランシスコで足止めを喰らう。
丸一日、ブランクの日ができてしまった。
そりゃー、もったいないと、皆でサンフランシスコ周辺の建築を見ようということになって、
そりゃー、シーランチでしょう、ということになってシーランチ・コンドミアムへ。
シーランチはまだ僕が建築を志す若かりし頃、アメリカの話題の建築だった。
1965年竣工の、建築家チャールズ・ムーアによる作品。
ベトナム戦争や世界中で学生の反乱があり、ビートルズ全盛の、
大量生産や物質主義への反抗に人々が目覚めたころの、
そしてライトやミースなどの巨匠の後の時代の建築作品だ。
当然若かった僕は時代の流れに敏感で、
チャールズ・ムーアやその周辺の建築家にも興味を持ったこともあったから、
一度は見ておきたいと思っていた建築の一つだった。
サンフランシスコからシーランチ詣でには往復すると丸一日かかる。
タクシーの運転手と交渉し、御一行様、計5人を乗せて550ドルで連れて行ってもらうことにする。
アメリカ地図で見るとシーランチはサンフランシスコから金門橋を渡り北に行ったすぐそこ(のようだ)。
ところがアメリカは広い、行けども行けども左に太平洋、右に山並み。
片道4~5時間はかかったかと思う。
アメリカの風景に飽きたころに、さらりとシーランチが現れた。
ところが残念なことに、なんと、Keep out!の看板、エーーーッ。
でも建築家はこのような時、ほとんど図々しい。
Keep out!もなんのその。
だが、しばらくしてPOLICEが!。
どこかに監視カメラが付けてあるのだろう。
おそらく世界中からこの建築を見に来ていて、こんなことは日常茶飯事に違いない。
お巡りさんは優しく、出なさいとの警告、フーーーッ。
こんなところで捕まってしまったら、これまでの人生が水の泡、と僕はおとなしく引き下がる。
だし、ここはアメリカ、ピストルでやられるかもしれない。
でも、若いというのは怖さ知らずか、それでも中に入ろうとする者もいる。
もっとも中といっても中庭の奥で、コンドミニアムの住戸の中に入るわけではないけど。
思い出してみるとこんなことは何度かあった。
せっかく行ったのに、見ることができない建物。
時間とお金を費やして、せっかく日本から来たのに、
これを外すともう二度と見るチャンスはない、と悲壮な思いに陥る。
しかしこの建物、シーランチに関しては、そういう思いがゼンゼンと言っていいくらいに湧いてこない。
今回のアメリカ旅行の目的がカーンの建築だったからかもしれないが、
それにしても今、目の前にあるにもかかわらず、この建築にどうしても会いたいとの熱い思いがわいてこないのだ。
奥の方まで見ているわけではないが、
ショウジキ言ってシーランチって、こんなものか、
との印象が見た瞬間に、すでにできあがったのかもしれない。
それはそのはずだろう、チャールス・ムーアは記念碑的な建物を建てようと思ったわけでもないし、物質文明を批判的に、Gパンのような、これでいいんだよねー、という思いでこの建築を作ったのだから、このようなことを書いても作者は許してくれるに違いない。
でも一方、「中を見てないからだよ、い~よ、中は」と言いそうな建築家の顔も浮かぶけど。
落語で完成祝い
2016.01.11