2017年07月の
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台湾紀行 Ⅶ 最終回

2017.07.30

台湾はリラックスできる。

普通、海外旅行というと、異国ということもあって多少の緊張感を強いられるものだが、不思議と台湾にはそれを感じない。

中国や韓国には何度も足を運んだ。これらの国は台湾と同じくかつて日本が植民地としていた国だが、いまだその後遺症が続き、反日感情が強いことを、肌に何度も感じた。

しかし、今回初めて台湾を訪れ、台湾にもそのような反日的感情が残っているのではと思っていたが、意外なほどそれを感じなかった。

確かに、日本は戦前に台湾に有能な技術者を送り込み、インフラの整備を図ったり、このブログでも書いたように、台湾帝国大学を作るなどして、台湾の近代化に貢献したと言われる。またその後の二・二八事件などもあり、日本の植民地支配は罪一等が減じられた感がないとも言えない。しかし他国の植民地化など決して認められるはずのないものだ。

この写真は台湾大学の図書館の書架を映したものです。

この書架の本を手に取って読んだわけではないが、
本のタイトルから、そう単純な話ではないことが読み取れる。

 

ところで、台湾に行く前にたまたま読んでいた本です。

 

「アジアの終わり: 経済破局と戦争を撒き散らす5つの危機」マイケル・オースリン著です。

台湾ではリラックスできたが、他の国ではそうでもない。
何故、アジアの国々の関係は敵対的であることが多いのか、そしてアジアは緊張に満ちている。

なぜEUのように行ったり、来たりできないのか。イギリスの離脱もあったが、フランスは留まり、EUにはまだ知性が保たれている。
是非私たちの平和のために読んでもらいたい本です。

台湾紀行Ⅵ 食事

2017.07.23

台湾は料理がおいしい、と旅行した人、皆が言う。
と言われても行ってみないとわからない。
うん、やっぱり、美味しかった。
それも、特別のレストランでなくとも、そのあたりの食堂のメシがおいしいのだ。
台湾大学前にある店で学生がよく来るようだ。

店先でテイクアウト、そういう学生の食べるものも美味。

その横にあった有名らしいタピオカの店。


このタピオカは絶品だったのだが、地下鉄の乗り口で、ここから先は飲食禁止の表示。
「郷に入れば郷に従え」で、残念ながら、美味しいタピオカを最後まで飲み干せなかった。台湾ではホームでは飲食禁止なのだ。


こんなエビ、カニを主にした顎が落ちるほどおいしい高級台湾料理も食べたが、

一番美味しかったのは、街の食堂で食べたお昼のこの料理。

こんなお昼を毎日食べたいなー。

百歳、百歳 万歳!

2017.07.17

親族のことで恐縮ですが、母が100歳の誕生日を迎えました。
長生きしてくれてほんとに、うれしい。
子供や孫が集まり、お祝いの会。


母は詩吟をやっていて、若いころはコンクールで何度も入賞した経験あり。
お祝いの会では2曲披露してくれた。
100歳、さすが音程はくるっているが、後半尻上がりに調子を出し、気力は充実。

黒田節です。


200歳まで頑張るとのことで、その時は又吟ずるとのこと。
この気力が長寿の秘密のようだ。
まだまだ頑張ってもらいたい。

台湾紀行Ⅴ 植物

2017.07.14

台湾にも帝大があったとは知らなかった。
日本による統治時代に帝国大学として設立されたもので、日本の敗戦まで台北帝国大学としてあったそうだ。
ただ、内地の帝国大学が文部省の管轄であったのに対し、
台北帝国大学は台湾総督府の管轄だった、というのが違う。
現在は国立台湾大学と言って、台湾きってのエリート校。
このキャンパスは東大の配置計画とよく似ている。
東大には本郷通の正門から安田講堂に至る軸線と、
それに直行する道が何本かあるように、台湾大学も同じ配置計画。
日本の統治時代に帝大として作ったのだから似ることになったのだろう。
しかし規模が全く違う。台湾大学の方がはるかにデカイ。
この正門から講堂に至る軸線の両サイドには、南国らしくヤシの木がズラリと植えてある。

このヤシの木はとっても立派。
名前を見たら、

成る程、名前に相応しい。
このキャンパスをさらに進んでいったら、

すごいトゲトゲがある。
恐る恐る触ってみたら、これは凶器になるくらい先が痛い程に硬く尖ったトゲだった。
名前が、すごい。
よく付けたもんだ、座布団一枚。

 

 

 

 

 

 

 

さらに奥へと進んでいくと、根元の形が面白い樹があった。

横から見たら、

何だ、そういうことなのかと、感心したような、だまされたような。
こういう植物もあった。

台湾大学のキャンパスは植物を見学するだけでも楽しい。
それは、台湾が亜熱帯と熱帯に属しているからだろう。
よく雨も降り植物は青々と茂っている。

これは台湾大学のキャンパスの中ではないが、

何という名のシダか知らないけどデッカイ、凄いの一語。
最後に、台北の街中で見た、可憐な白い花。

白い花は可憐でとっても好きなのだが、
根元に貼ってあった看板です。

これも美人樹!
「海のマンゴー」という名前らしい。

台湾紀行 Ⅳ 建築街並み編

2017.07.08

いま日本でもリノベーションが話題になることが多い。
台湾でかなりレベルの高いリノベを見た。
1950年ころにできた銀行の寮を、最近ホテルにコンバージョンしたもの。

そう言われて見ると、かつて寮だったかも?と思えなくもないが、
60年前のRCをベースにしたものとは思えないほどエレガントだ。
道路と建物の間の距離の取り方も、とっても繊細にコントロールされている。

このリノベの優れているところは、まったく新しい建物のようにピカピカにしてしまわないことだ。
古い建物の一部分をあえて残しているところもある。

入り口の柱は日本でも高速道路の耐震補強に使われる炭素繊維で補強し、そのまま使って素材感を出している。

内部の共用部分は、スラブをぶち抜き、屋上のトップライトから光が落ち、すがすがしい。

客室の家具も細やかに設計されていて、冷蔵庫や洗面器、金庫、引き出し、リネン入れなどが一体化されている。

そしてこのコンバージョンの圧巻は、台湾の街に暮らす庶民の生活の風景がホテルの中へ自然に入ってきていることだ。
この堂々と日常生活を見せることに、自己のアイデンティティーへのリスペクトと共に、誇りを感じる。


このコンバージョンをやったのは郭旭原さんという台湾の建築家で、彼が直々に案内してくれた。
FORIO DAANというホテル。
このリノベには随所に建築家としての基本的なちゃんとした技術が随所に見られた。
いま日本の若い建築家の間でもリノベが流行っているが、郭さんのようにちゃんとした技術の裏付けを持ってやっている人は少ない。

次に台湾に行くときは是非止まってみたい宿屋だ。

台湾紀行 Ⅲ 建物・街編

2017.07.01

九份(きゅうふん)は台湾島の北の端にあり、かつて金を産出した鉱山の町。

日本の統治時代に藤田組が大々的な金採掘をやったらしい。藤田組なんて名前が出てくると建築関係者として身近に感じる。台湾紀行Ⅱでも書いた日式住宅が残っていたり、金鉱博物館がある。金鉱博物館には10億円くらいの金塊が飾ってあって、触ることができる。
しかし、圧巻なのは九份の商店街。幅2~3m位の狭い道の両側に店がぎっしりと延々と続き、人でごった返している。どのくらい歩いたかはわからないが、1km以上はあったはず。

そんな通りの途中に素敵な階段道があった。

本当は人でごった返していたんだけど、できるだけ人がいなくなった時に撮った写真です。

この九分の街を歩いて思い出したのが京都の先斗(ぽんと)町。

先斗町も道幅が狭くて歩いていて心地よく、楽しい。
しかし、日本では道幅を防火の点から順次4m以上にすることになっていて、先斗町のような街並みを残すには大変な努力がいる。

消防活動の点から考えると、道幅が狭い木造でできた日本伝統的街並みは確かに危険だ。

でも九份の蛇のように長く建ち並ぶ建物は、よく見るとコンクリート造でできている。九份ががここまで何十年も残ってきたのは、コンクリート造だったからだろう。そうでなかったら、とっくに消えていたに違いない。

ところで九份で不思議なドアを発見!

不思議でしょう?

 

 

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