2010年12月の
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スリランカ紀行 Ⅷ ジャンク芸術

2010.12.28

バワの直接の弟子ではないが、バワから多大な影響を受けた建築家にケリー・ヒルがいます。
ケリー・ヒルはリゾートホテル、アマンのお抱え建築家ともいえる人。
シンガポールに事務所があるけど、どういうわけかスリランカに別荘を持っている。
日本と違って、外国の建築家はお金持ち。
スリランカにある彼の別荘にも寄った。

池があり、そばにオシドリらしき鳥が二羽。
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実は近くで見ると・・・・・、
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YAMAHAの文字が。

もっと凄いのは、
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これはバワの建築にあるテーブル。
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やることが違う!

こういう芸術ができるのはインドなど低開発の国には車のジャンク屋が一杯あるから。

Wカップ日本ーカメルーン戦前夜のこと

2010.12.25

今年嬉しかったこと。

何たって7年間待った小惑星探査機、はやぶさの地球帰還です。
本当にイトカワのサンプルを持って帰るなんて!
帰還予定の夜はインターネットでNASAや和歌山大学、ニコニコ生放送の映像を見る準備をし、
深夜の事務所で一人パソコンの前で待機していた。

興奮しました。
カプセルを放ち、砕け散りながら衛星本体は燃え尽きる映像を見て涙が出てしまった。

あの大成功の帰還からもう6カ月過ぎ去り、
はやぶさ関連の本もいろいろと出た。
その中でも最も感動した本はプロジェクトマネージャーの川口淳一郎さんの本。

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責任ある当事者ならずではのです。

あの4畳半があった所に。

2010.12.16

「北区のJ町に家を建てたいのだが、一度会ってもらえませんか?」とメールが来た。
J町は僕が40数年前、東京に出てきて最初に住んだ下宿があった町。
だから懐かしい、あれから一度だけ寄ったことはあるが、もう40年以上行ったことはない。

建て主さんが私の事務所にいらっしゃり、建設予定地を書き込んだ住宅地図を広げられた。
自分が住んでいたところと近いような気もするが、
何せ40数年前のこと、建設予定地との位置関係は分からない。

しかし思い出をたどりながらよくよく見たら、
その敷地はまさしく僕が住んでいた下宿屋があったところではないか!!!
えーっと思わず声を出してしまった。

建て主さんは、あの時の下宿の大家さんの子供かな?とも思ったが違っていた。
子供が引き継いでいたらしいが、最近手放してしまい、
不動産屋が広い敷地を5区画に割って分譲したようだ。

敷地の分割図面を見たら、さらに驚き。
広い敷地の隅っこに下宿屋はあったが、
5区画のうち建て主さんが買った敷地は下宿がかつてあったところ!!!

そんなに迷信深いほうではないが、
こんなことが起こると、
何かが僕を呼んでいるのか、と思わずにはいられない。

あのとき僕は18歳だった。
近いうちに敷地を見に行ってきます。
変わっているだろうなー。

スリランカ紀行 Ⅶ プロとアマチュアの彼岸

2010.12.09

建築家バワはスリランカの国民的英雄だ。
しかし、日本人の建築家が彼の建築をみたらどう思うだろう。
今迄にあまり経験したことのない建築と思うだろうし、
常日頃設計している建築とはほど遠いものだ。
だがバワの建築はスリランカ国民に愛され誇りとなっている。

いま建築家は狭い範囲で建築を考えているのではないか。
彼の作品を見ると、建築があらゆる物事と同時共存している。
建築をみる視野が広いのだ。
人間の全存在で建築にかかわっている。
建築には確かに専門的な知識、能力が必要であるが、
人間としての全存在をかけて建築と向かい、
専門家、素人とかを超えることによって始めて建築の実在感が生まれ、共感が得られる。

見回してみると、そのような建築家に白井晟一やバラガンなどが思い浮かぶが、
バワも、白井晟一も、バラガンも建築以外の世界の人々に共感する人が多い。
専門家、素人を超えたところに本物の建築があるのではないか。
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