2024年02月の
ブログ
blog

建築家がお薦め 三ツ星★★★建築の旅シリーズⅡ-2           フィレンチェ・アッシジ・ペルージャ

2024.02.21

花の都フィレンチェ

イタリアは芸術の国。華やかな街と言えばパリが定番だが、イタリア、フィレンチェも負けてない。
パリにはノートルダムがあるが、フィレンチェには「花の大聖堂」、サンタ・マリア・デル・フィオーレがある。「花の大聖堂」の方が圧倒的に明るく、楽しい。
辻邦夫の小説に「春の戴冠 」というのがあるが、ルネッサンス期のフィレンチェを題材にした小説で、タイトルに春という言葉が入っている。実際フィレンチェを体験すると春だの、花などという言葉が相応しいのがよくわかる。

イタリア人の色のセンスは抜群、フィレンチェの町のショーウィンドーを眺めていると僕らにはとてもこのような色は出せないなと、ため息が出るほどに美しい色使いの商品が並んでいる。日本にも誇れる色合いがあるが、フィレンチェは格別だ。そして何と言ってもルネッサンスの美しい建築や、彫刻、絵画が至る所にある。

フィレンチェでの強烈な体験はサン・マルコ修道院だった。
修道院のL字に折れる階段を曲がり、上がった先を見た時に思わず「あっ」と声が出た。その先には美しい絵があった。何となくこの絵が美術史的に有名なことは知っていたが、そういう絵もあったよね、程度だった。そもそもこの絵を見るまで僕はキリスト教の宗教絵画に興味がなかった。僕の田舎である熊本県八代ではキリシタン処刑の址に教会が建っていて、キリストの磔(はりつけ)の絵がロウソクの匂いとともにあった。聖書にちなんだ絵は多くの日本人にとってはそんなものだと思う。

しかしその絵を見た瞬間、その絵の美しさに、そして階段を曲がって見上げると突然現れるという劇的効果からか、声が出てしまった。うす暗い階段の先に、窓からの明かりでそこだけが照らし出された絵は、淡い色使いの、清らかで優しく甘美、天国的な明るさとでも言えばいいのか、大天使ガブリエルが処女マリアに、神の子を身ごもったことを伝える「受胎告知」の絵だった。

画家の名前はフラ・アンジェリコ。ルネッサンスの画家。フラ・アンジェリコはヴァザーリによる『ルネサンス画人伝』の中で、「神への献身と現世と隣人への奉仕に生涯をささげた。質素で品性の純潔な人物であった。俗界の喧騒をまったく遠ざけ、美しく簡素な生活を送り、貧しき人々の友であった。よって今では、その魂は天上の友として遇されているだろう。修道僧といる時も、信じがたいことだが、怒った顔一つ見せなかったのは立派というほかない。友をさとすにあたっても、率直なほほえみを絶やさなかった。画筆をとる前に必ず祈りの言葉を唱えたという。キリストの処刑図を描くときは、涙がつねに彼の頬を濡らしたという」とある。キリスト教の宗教絵画にも興味を持つようになったのは、この絵を実際に見てからだ。やはり絵は本物を見ないと分からない。

サン・マルコ修道院のフラ・アンジェリコ「受胎告知」 L字の階段を上がった正面に突然現れる

この絵のある修道院の2階は修道士の個室、僧房になっている。僧房には聖書にちなんだ絵が描かれていて、それらの絵も美しく見て歩くのも楽しい。

サン・マルコ修道院の僧房

サン・マルコ修道院の僧房の一室、各室にフラ・アンジェリコのフレスコ画がある

フラ・アンジェリコのこの絵のように、ルネッサンス絵画の多くはフレスコという手法で描かれている。絵を描く壁や天井にまず漆喰を塗り、それが乾かないうちに水で溶いた顔料で絵を描く、そのようにして壁や天井に直接描かれた壁画だから、絵を移動しようとすれば建物ごと運ぶしかない、それはほぼ不可能というものだ。もちろん移動を前提にパネルに描かれたものもあるが、壁画は固有のそこに行かなければ見ることができない。

このようにフラ・アンジェリコを見るには、フィレンチェのサン・マルコ修道院、ジオットを見たければ、アッシジのサン・フランチェスコ教会やパドバのスクロヴェーニ礼拝堂ということになる。

ローマ帝国の滅亡後、イタリアは都市国家にばらけ、イタリアの統一国家が誕生したのは日本で言えば明治維新のちょっと前。藩ばかりの徳川幕府がない国と言えばいいのか。だからイタリアは地域性が強い。絵画も例えばシエナ派やヴェネティア派という具合に都市に流派が生まれた。

ルネサンスの絵画はジオットに始まると言われるが、透視画法などの発明でどんどんと写実力は高まっていく。確かに「前期ルネサンス」のジオットの頃から「最盛期ルネサンス」のダ・ヴィンチへと時代が下ると表現技術はぐんと進化を遂げる。ルネサンスと言えば、「最盛期ルネサンス」のレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロがよく知られている。しかしジオットなどの芸術家の「前期ルネサンス」の芸術家もいい。
もちろん最盛期の芸術家は凄いが、決してジオットがダ・ヴィンチに芸術性において劣っているとは言えない。
前期ルネサンスの芸術家のジオット、ここで取り上げたフラ・アンジェリコ、ボッティチェッリ、シモーネ・マルティーニ、ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品を訪ねて、建築と共に、個性豊かなイタリアの各地を訪ねることでルネサンスの凄さを体感できる。

アッシジ サン・フランチェスコ教会にはジオットの絵が
サン・フランチェスコ教会には入ってすぐに
ジオットの 有名な「小鳥に説教をする聖フランチェスコ」がある

ペルージャ
ペルージャはかつてサッカーの中田がいたことで日本人にはよく知られている街だが、大学都市として有名な山岳都市で、世界各国から留学生がやって来る古い町だ。
先のアッシジから近く、ペルージャへは20kmもなくタクシーで行った。運転手がイタリア人らしく大変陽気で、オ~ソレミヨ~♪と、道中パヴァロッティさながら、車内に響き渡るデカい声で歌ってくれた。イタリア気分満載の楽しい移動になった。

ペルージャにはイタリアで僕が一番好きな建物、サンタンジェロ教会がある。5世紀ころの初期キリスト教の建物で、知る人ぞ知る素晴らしい建物だ。
イタリアには名建築が山ほどあるが、サンタンジェロ教会はステンドグラスがあるわけでもなく、キリストの絵が派手に飾ってあるわけでもない至ってシンプルな、建築だけで空間を作っている。プランは2つの同心円状のエリアがある円形プランで、中央部には祭壇があり、周辺部は外廊になっている。

聖堂の中に入るとホッとする。何か優しいものに包まれたような温かい気分になる。
中心部は天上が高く、16本の柱から延びるアーチで屋根を支え、アーチとアーチの間には木の梁と板張からなっている。中心部からは全方位にぐるりと下屋で空間を広げている。16本の柱は古代のもの(異教徒のもの)で、何処から持ってきたのかマチマチなのもいい。
祭壇のある中心部の高い上部には窓があり、下屋部分から見ると中心部は明るく、空間の求心性を強めている。この光でもこの建物に集う人々を包み込み、連帯感を強める効果も生み出しているのだろう。

平面図
断面図
ズボッと、でも素朴な美しい形をしたサンタンジェロ教会の外観
内陣の上部には窓があり、内陣のある中心部は光で満たされる。再利用のマチマチの柱は基壇部分で高さを調整している。撮影・出典:Ricci Mariagrazia
人々を包むような優しい形をした内陣の天井
(出典:Facebook「Dall’Umbria con Amore 」から)

小澤征爾さん

2024.02.11

小澤征爾さんが亡くなった。
小澤さんは僕より一回り年上の猪。
遠い存在だが年の離れた兄貴のような、 希望の星のような存在だった。
ボストン交響楽団、新日本フィル、松本での斎藤記念の演奏会など、
小澤さんの講演はずいぶん聞かせて頂いた。

小澤征爾指揮、ベルリンフィル、チャイコフスキー交響曲6番「悲愴」Youtubeから

小澤さんの指揮は、 曲の最初から最後まで 、 部分から全体までが緻密に構成され、それを楽団員にどういう風に演奏して欲しいか、 体で音楽を正確無比に表現していた。それは凄いとしか言いようのないものだった。
だから聴衆は小澤さんの指揮の姿と共に音楽を聴くことで、音楽をより深く音楽に入っていくことができた。
小沢さんは演奏会で楽譜を見ない。譜面台自体がないこともあったし、また置いてあっても楽譜は閉じられたままだった。
交響曲の指揮者の譜面は各パートが何列にも重ねられて書いてあるから分厚い。そのすべてが頭に入っているとしか思えないくらいに緻密に、しかも全体を把握しながら指揮しているように思えた。
小澤さんは相当の勉強家だったらしい。毎朝、日の出前から起きて譜面を読むのを日課にしていたとか。
だから、演奏会で楽譜を全く見ないというのが可能だったのだろう。

小澤さんを育てたのは、良く知られているように斎藤秀雄。斎藤秀雄は怖く情熱のある先生だったとか。そのような先生の元だからこそ小澤さんが生まれたのだう。芸術は半端じゃ生まれない。
斎藤秀雄から小澤さんへ、日本の西洋音楽を世界に開いてくれ、さらにそれは東アジアの音楽家にもそれを広げてくれた。
小澤さんには、もちろん素晴らしい演奏を堪能させてもらたことと共に共に、音楽以外にも勉強をし続けること、勉強の楽しさ、前向きに生きることの大事さを教えて頂いた。

小澤征爾お薦めCD
ブラームス:交響曲 第1番  サイトウ・キネン・オーケストラ 指揮小澤征爾
ブラームス:交響曲 第4番  サイトウ・キネン・オーケストラ 指揮小澤征爾

ARCHIVE