- トップページ
- >
- ブログ
2010年05月の
ブログ
blog
ワールドカップは見ないで、オシムの本を読もう
2010.05.27
いよいよサッカーの話題。
と言っても、もう一つ盛り上がらない。
先日の韓国戦はどうしようもなかった。
カメルーンを油断させるために寝た振り?
でもそんなことはないな。
ボールが前に行かない。
横どころか後ろに回していたんでは勝つはずがない。
オシムの時はそうでもなかった。
いまさらオシムと言ってもどうにもならないことは分かっているんだけど、
でも、でもオシムの本の紹介。
おそらくオシムが直接書いたのではないと思うが、
誰かがヒヤリングしてまとめたものだろう。
だが、オシム節全開の本。
僕が面白かったのはサッカーを建築と読み替えるかとができること。
オシムはかつて数学者か物理学者を目指していたそうだから、
言うことに広がり、普遍性がある。
もう一つオシムの本。
このブログによく書き込みをしていただいている「お邪魔虫さん」の紹介による本。
オシム通訳をしていた千田善さんの『オシムの伝言』(みすず書房)、
これも面白かった。
近くにずっといた人の言葉だけあって読んで行くうちにドンドンひきつけられる。
アーーー、オシムさん、何で倒れてしまったの!
5月は黄木蓮
2010.05.18
木蓮の花って白か紫と思っていたら黄色いのもあるんですね。
しかもこの黄色い木蓮は5月に咲く。
先日栃木方面に行ったときに発見。
友人に聞いたのだが、普通桜は4月に咲くものと思っていたら、
1月に咲く桜、2月に咲く桜、3月に咲く桜、もちろん4月に咲く桜、・・・・・10月に、11月に、12月に咲く桜と、
それぞれの月に咲くように12種類あるとか。
でも桜は4月、モクレンは春先がやはりいいと思うんだけど。
無理して季節をずらさなくていいのではないかな~。
春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて、と我が民族は言うではないか。
一年中咲く桜はどうかと思うが、
でも、この黄木蓮はよくよく眺めていると5月らしい、とも思える。
ないのが当たり前になっていく・・・。
2010.05.11
大江戸線、新江古田駅の前に白井晟一邸、虚白庵(こはくあん)がある。
正確には、あった。虚白庵が壊されたのだ。
建築家、白井晟一は僕らの世代にとって教祖的存在だった。
当時、この虚白庵の門の前で弟子になりたくて毎日座り込んだ者もいたくらいだった。
僕の友人で、白井晟一が亡くなった時、三日間も泣き続けたのもいた。
そのくらい白井晟一は僕らの世代の建築家に影響を与えた建築家だ。
だから虚白庵は僕らにとって聖地みたいな存在だった。
虚白庵に一度は入って見てみたい、と多くの建築家の卵たちは思ったものだ。
入れないならと、隣のマンションの屋上から覗き込んだり…。
入ったことのある者は、それは自慢げだった。
僕が見せて頂いたのは白井晟一の息子さんの代になってからだったが、
やっと念願叶い、大層うれしかった。
その虚白庵が壊されてしまったのだ。
壊されるという噂は聞いていたが、
ある日、当然あるはずと思っていた建物が、
パッツ!となくなっている。
新しい建物、マンションでも建つのか、
テントを張り、地鎮祭をやるようだ。
なくなった風景を見た時はショックだったが、
その前を、その後も時々通るが、段々「ない風景」に慣れてしまっていく。
そんなものなのかな・・・。
なんだか人の死に似ている。
そこで問題
2010.05.07
ヴェスプロⅡ 建物は楽器
2010.05.01
先日の演奏会があった東京カテドラルの残響は、7秒。
普通の音楽ホールで2秒くらいだから、
東京カテドラルの残響がいかに長いかがわかる。
かつて南フランスにあるル・トロネ修道院を訪ねた時のこと。
この修道院はロマネスクのシトー派の教会として有名。
教会はほとんどそうだけど、
石造で開口が少なく、かなり音が響く聖堂だった。
訪れていたのは僕らだけだったから、
思わず、大きな声でド、ミ、ソと音程を付けて順々に音を重ねて出してみたら、
ワーンとハモった。
何とも気持ちが良い、一人でハモれるわけだ。
それで、アーこれかと思った。
西洋音楽の和声は残響の長い石造の建物から生まれたんだと、実感できた。
次に体験したのはウィーンで。
「岸辺のマリア教会」という素敵な名前の教会。
重たいドアーを開けたら、なんの楽器かは分からないけど、
分厚い音を出す笛?のような楽器の音が聞こえてきた。
しばらく楽器は何だろうと思いあぐねていたが、
もっと中に行って見たら、何とフルートの演奏だった。
若かりし頃、自分でもかじったことのある楽器だったのに、
分からなかったことに驚いた。
フルートは柔らかく、どちらかと言うと細い音。
ところが、もっと響きが強く、聖堂全体が音を出している感じだった。
建物と共鳴し、僕らが知っている楽器とは別の楽器になっていたのだ。
本来、フルートはそういうものとして西洋では生まれたのかもしれない。
あけっぴろげな日本建築では違った、細い音の楽器になっている。