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宝塚のモデルハウス
2011.01.29
新しい住宅展示場の設計をしました。
展示場は平尾工務店という会社のモデルハウスです。
場所は宝塚市の阪急中山駅の近くです。
是非この住宅は中も見てみたいと思っても、既に住んでいらっしゃれば家の中はなかなか見ずらいものです。
住宅展示場なら堂々と見せてもらえます。
関西の方はぜひどうぞ。
お久しぶりです。
2011.01.16
神保町の地下道を歩いていたら、
む、む、む・・・・・、
このポスター、オシムさんではありませんか。
お久しぶりです!
そう、スピードが命ですよね。
アジアカップの真っ最中だけど、
日本のサッカーはずいぶん早くなった。
南アフリカではいい結果を出したけど、
僕は、これオシムのおかげだと思うなー。
オシムさんのことは忘れちゃー、いかん!
スリランカ紀行 Ⅸ
2011.01.07
自慢のショットです。
断崖絶壁の岩山の山腹に鉄筋を打ち込みブリッジを巡らしている。
たまたまそこをお坊さんが通りかかった。
なぜこんな写真を撮ることになったかといえば、
スリランカの世界遺産の一つで、岩山の上に王宮があったとか、
その岩山を登る途中に撮ったもの。
なぜこのような岩の上に王宮を造ったか?
それにはなかなか面白い話がある。
この岩山の絶壁をホントに登るの?
やめときたいな~、疲れているし、なんだか大変そう~と思ったが、
ガイドさんが知らない間に段々と上に誘ってくれ、頂上まで辿り着いた。
途中、すばらしいフレスコ画に出会った。
大変な登山だったけど、登って良かった。
正月前後
2011.01.05
暮
近年クリスマスになると我が家の周りの家々は青や赤のLEDの電飾で飾っている。
それを見ながら帰途に就くのも結構楽しいものだ。
でも我が家にはない。
我が家だけないのは寂しい気もするが、ちょっと抵抗したくもなる。
我が家のクリスマスの飾りは・・・・
正月
今年で94歳になる母親を自宅に迎えて正月。
親類も集まってくれ楽しかった。
久々に何もかも忘れのんびりできた。
夜は毎日遅くまでTV三昧。
80歳になる料理人、道場六三郎さんを扱った番組で、
これまでの料理の品書を全部燃やしている姿が印象に残った。
これまでを清算し、新しい自分に挑戦するためとのこと。
それから病気から復活した小澤征爾さんの番組、病気は大変だったようだけど相変わらず気持はお元気。
番組の最後に少しだけ流れていたカーネギーホールでの演奏のブラームスの1番は凄かったようだ。
音楽がホールにうねっている。
それからNHK「メジャーリーグ~アメリカ社会を映す鏡」、「日米安保50年」、その合間合間にイタリアものの番組。
たくさん、たくさんTVを見て目が疲れた・・・。
もう一つ忘れていました。
面白いYou Tubeを見つけました。
で、いよいよ明日から仕事です。
スリランカ紀行 Ⅷ ジャンク芸術
2010.12.28
バワの直接の弟子ではないが、バワから多大な影響を受けた建築家にケリー・ヒルがいます。
ケリー・ヒルはリゾートホテル、アマンのお抱え建築家ともいえる人。
シンガポールに事務所があるけど、どういうわけかスリランカに別荘を持っている。
日本と違って、外国の建築家はお金持ち。
スリランカにある彼の別荘にも寄った。
池があり、そばにオシドリらしき鳥が二羽。
実は近くで見ると・・・・・、
YAMAHAの文字が。
もっと凄いのは、
これはバワの建築にあるテーブル。
やることが違う!
こういう芸術ができるのはインドなど低開発の国には車のジャンク屋が一杯あるから。
Wカップ日本ーカメルーン戦前夜のこと
2010.12.25
あの4畳半があった所に。
2010.12.16
「北区のJ町に家を建てたいのだが、一度会ってもらえませんか?」とメールが来た。
J町は僕が40数年前、東京に出てきて最初に住んだ下宿があった町。
だから懐かしい、あれから一度だけ寄ったことはあるが、もう40年以上行ったことはない。
建て主さんが私の事務所にいらっしゃり、建設予定地を書き込んだ住宅地図を広げられた。
自分が住んでいたところと近いような気もするが、
何せ40数年前のこと、建設予定地との位置関係は分からない。
しかし思い出をたどりながらよくよく見たら、
その敷地はまさしく僕が住んでいた下宿屋があったところではないか!!!
えーっと思わず声を出してしまった。
建て主さんは、あの時の下宿の大家さんの子供かな?とも思ったが違っていた。
子供が引き継いでいたらしいが、最近手放してしまい、
不動産屋が広い敷地を5区画に割って分譲したようだ。
敷地の分割図面を見たら、さらに驚き。
広い敷地の隅っこに下宿屋はあったが、
5区画のうち建て主さんが買った敷地は下宿がかつてあったところ!!!
そんなに迷信深いほうではないが、
こんなことが起こると、
何かが僕を呼んでいるのか、と思わずにはいられない。
あのとき僕は18歳だった。
近いうちに敷地を見に行ってきます。
変わっているだろうなー。
スリランカ紀行 Ⅶ プロとアマチュアの彼岸
2010.12.09
建築家バワはスリランカの国民的英雄だ。
しかし、日本人の建築家が彼の建築をみたらどう思うだろう。
今迄にあまり経験したことのない建築と思うだろうし、
常日頃設計している建築とはほど遠いものだ。
だがバワの建築はスリランカ国民に愛され誇りとなっている。
いま建築家は狭い範囲で建築を考えているのではないか。
彼の作品を見ると、建築があらゆる物事と同時共存している。
建築をみる視野が広いのだ。
人間の全存在で建築にかかわっている。
建築には確かに専門的な知識、能力が必要であるが、
人間としての全存在をかけて建築と向かい、
専門家、素人とかを超えることによって始めて建築の実在感が生まれ、共感が得られる。
見回してみると、そのような建築家に白井晟一やバラガンなどが思い浮かぶが、
バワも、白井晟一も、バラガンも建築以外の世界の人々に共感する人が多い。
専門家、素人を超えたところに本物の建築があるのではないか。
スリランカ紀行 Ⅵ 新旧の彼岸
2010.11.30
建築に限らず芸術には新しさが求められる。
しかしバワの建築を見ていると「古い、新しい」を超えた、新旧の彼岸がある。
建築において新しいとはモダニズム。
確かにバワの建築はベースにモダニズムがあることは否定できない。
しかしそのモダニズムにはスリランカの風土や歴史を内包した大きさがある。
以前書いたようにバワの建築にはよく骨董品が置かれている。
それだけでなく、スリランカの民家のモチーフがさまざまなところで顔を出している。
スリランカの民家には熱帯の蒸し暑さから逃れるための中庭がよく見受けられるが、
空がのぞける面積は最小に制限され、必要な光と通風が確保されている。
バワが設計したクラブハウスの中庭です。
リゾートホテルの中庭。
大学の校舎のほんのわずかな屋根の隙間。
伝統的な屋根や柱もよくつかわれている。
古い柱の腐った部分はモルタルで根継ぎをして使っている。
歴史や風土を内包することによって、現代建築にはない豊かな建築を作っている。
スリランカ紀行 Ⅴ 建築とその他の芸術との間
2010.11.25
バワの建築は、建築とその他の芸銃が連続的していると書いたが、
建築とその他の芸術との間を埋める試みもなされている。
窓は建築そのものだが、それだけでも美しい。
階段室にあけられた開口だが、彫刻的な美しさがある。
洗面室、コンクリートに便器を埋め込んだり、コンクリートで棚を作ったりして、彫塑的に構成される。
テーブルは葉っぱの形をモルタルに転写したもの。
この模様は椅子や敷石などいろんなところに使われている。
バワのオリジナルの照明。
バワはこのほかにもいろんな照明器具を作っている。
椅子も…。
バワは建築自体にも彫刻的造形を、また家具を建築的に造形し、
照明や、家具といった建築の周辺的なものにも手を広げている。
スリランカ紀行 Ⅳ 建築の一部としての芸術品
2010.11.23
バワの建築は外構と芸術品が一体となっていると書いたが、
絵画や彫刻、陶芸作品、あるいは骨董品がいろんなところに散りばめられている。
近代建築でも広場にポイントとして置かれるようなことはあるが、
それは他の作品にもおきかえられるようなもので、
それでなければならないものではない。
芸術作品を無視しているわけではないが、
建築と芸術作品が一体となって空間を作り上げることはほとんどない。
しかしバワにおいてはそれが一体となって考えられている。
バワの別荘の一部です。
バワの別荘の二つの庭をつなぐ建築に書かれた絵です。
次はバワの自邸。
このように見ていくとバワにとって建築と芸術品が別々なものとか、
あるいは建築を引き立たせるものとかでなく、
建築とその他の芸術が連続して存在している。
スリランカ紀行 Ⅲ 身体と空間の交感
2010.11.19
バワの建築の特徴の一つは建築と外構工事、芸術品が混然一体になっていること。
バワの仕事に協力してしていた弟の住宅だけど、
門から建物までの長いアプローチは背の高い両側の熱帯植物でキュッと狭め、人を迎え入れてくれます。
さまざまな植物を植えることで刻々と変化する風景と同時に、カーブしたこの道の先がどうなっているのだろうかと期待を持たせられる。
次はバワ自身の別荘で、屋外に面した吹きさらしのダイニングです。
ダイニングの向こうには池があるのだけど、その途中に見事な木が植えられている。
この木まではダイニングからフラットに床面がつながるが、その先はスロープになり池え落ち込む。
そのことによってダイニングから延長する木までの連続した空間が生まれる。
このような仕掛けはあらゆるところに、というか敷地全体にわたって計算されている。
おそらくバワは建築を平面図で考えたのではなく、シーンで考えたのだろう。
だからバワの建築は平面図からは読めとれない豊かさがある。
と言って単なるシーンの結合ではない。
変化するシーンの関係性によってさらにシーケンスを生み出す。
通路を狭めたり広げたり、天井を高くしたり低くしたり、さらには歩く正面に何らかの風景を作ったり…・と。
そのような通路の先の格子と庭です。
格子も美しい。
現代建築が失ってしまった身体と空間との関係です。
スリランカ紀行 Ⅱ 共感される建築
2010.11.14
バワの作品をたくさん見たけど、まずはカンダラマホテル。
バワはアジアンリゾートの原型を作った人とも言われる。
(バワはリゾートだけでなく住宅や、オフィスビルもたくさん作っているが、それは後日)
何れにしろ、とにかく人を理屈なく喜ばせる建物だ。
樹木でおおわれた建築、というのを建築家は一度はイメージするものだ。
そんな建物を実際にバワは具現化した。
ただ建築はイメージすればできるというものではなく、相当の問題解決があって出来るもの。
例えば、植物で建物をおおうのはいいが、一方部屋からの眺めを植物が遮らないようにするにはどうしたらよいか、といった問題がある。
それは主としてお風呂の前に目隠しとして植物が利用され、ベッドルーム前には植物を茂らせていない、等さまざまな問題を解決していることが読み取れる。
バスに入っていると突然猿が。
手すりも美しい。
廊下を歩いているとこんな模様が。
カンダラマホテルではもっとたくさんの写真をのせたいくらい素晴らしい場面があった。
バワがリゾート建築でも成功したのは、このような人を喜ばせる力があったからだ。
ところで、我田引水になってしまうが、
次の写真は僕が設計した「泰山館」。
バワほど徹底していなかったが、同じような建築への思考があったと思う。
同じような思考があることを発見しうれしかった。
どちらも1990年初頭に建った建物だ。
スリランカ紀行 Ⅰ
2010.11.07
それぞれに、
2010.10.23
メンテナンスの相談を兼ねて3年ほど前に作った住宅を訪ねた。
階段室の壁にポツポツと穴を開けておいたが、
そこに小物がきれいに飾ってあった。
このお宅の表札は子供のお絵かきから絵と文字を使い、
ステンレスにエッチングしたもの。
建設途中はお腹に二人目の子供がいたが、
この度訪ねたら元気な女子が家の中を走り回っていた。
これは違うお宅の話だけど、
先日道を歩いていたら「泉さん!」と声を掛けられた。
声をかけた方は5年前に建てた住宅の建主しさん。
「今、私の家の前にハロウィンを飾っているから見ていって」とのこと。
何年か経って自分が建てた家を見ると、
それぞれの住まいにそれぞれに生活がある。
それを見るのも楽しい。
こりゃ~いい。
2010.10.15
講演会のお知らせ
2010.10.10
10月16日(土)13時より、
長野県松本合同庁舎講堂にて講演を行います。
「信州木造塾」の公開講座(無料・当日申し込み受け付け)でどなたでも参加できます。
テーマは、
自然素材が持つ「和」とは?
一応、お問い合わせは社団法人長野建築士会TEL026-235-0561
蚯蚓のつぶやき
2010.10.05
「蚯蚓のつぶやき」
蚯蚓は、みみず。
「蚯蚓のつぶやき」は河野通祐という建築家が書いた自伝です。
河野通祐といっても、この建築家の名を知っている人はほとんどいないでしょう。
生まれは1915年、亡くなったのは10数年前らしい。
生きているときに書いた本だから亡くなった日付がない。
サブタイトルには「無名建築家の生涯」と書いてあります。
土浦亀城事務所出身で、福祉建築の設計を主にやっておられた方だ。
本を読んでいると土浦事務所出身だから、以前紹介した松村正恒さんのことも出てくる。
僕はたまたまだが、
若かりしころ日大の助手をやっていて、この河野さんが非常勤講師で来ておられて会ったことがある。
ただいつもコーヒーをお出しているだけで、何か話した記憶はない。
河野さんの自伝「蚯蚓のつぶやき」がどういううわけか僕の本棚にあった。
この本があることも忘れていたし、なぜここにあるのかも思い出すことができなかった。
又、お目にかかったことはあっても、河野さんがどういう方だったか、何も知らなかった。
この本なんだったっけ?と立ちながらパラパラと読んでいてら面白く、思わず最初から丁寧に、味わい深く全部、読んでしまった。
小さいころ両親を無くし大変苦労をして建築家になられた方だが、
とっても心が綺麗な人だ。
又建築を通して人々に何ができるかをちゃんと心に刻んでおられた方だ。
こんな建築家は珍しい。
ここのところ松村正恒(無級建築士自筆年譜 )さんや、この河野通祐さんのように歴史に名を残すような建築家でない人の本を読んだが、
余ほど有名建築家の本より、ずっと面白い。
若い建築家の皆さん、この本を読むと建築家にもこのような尊敬できる生き方があることを知ると思います。