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現代の名工…Ⅲ(仮組)
2007.10.06
仮組(かりぐみ)の続きです。
仮組は並べたべニアの上で行いますが、
そのべニアには設計図面を現物の大きさに伸ばした図が描かれています。
その上に部材を組み立てます。
仮組の本当の目的はここからです。
べニアに挽いた線の上にレーザー光線を出す器具を載せます。
この器具にはジャイロがついていて自動的に重力に対し並行、垂直のレーザー光線が出ます。
その光線を使ってべニアの線に対し垂直な線を上部の部材に出すことができます。
この作業を昔の大工は「下げ振り」という道具を使って行っていましたが、
現代は風が吹いても「下げ振り」が揺れることもなく、垂直線を出すことができます。
このようにして出した線で上空にある部材の加工すべき角度を正確にに出すことができます。
そして複雑な勾配がついた部材の加工を可能にします。
今回のブログはちょっと難しかったかもしれませんが、
言いたかったことは、
かつて名工と言われた人たちの仕事を、
現代の先進的道具を使えばかなり正確に、
そして難しい仕事もやれるということ。
でも先進的道具は一般的に人間がラクチンするためだけに使われ、
仕事の質が下がっています。
やはり仕事はやる気です。
そして道具は使いよう。
そのような意味でこの仮組をやってくれた大工は、
現代の名工と言っていいでしょう。
現代の名工…Ⅱ(仮組)
2007.09.20
8月27日に書いたブログがどうなったか?の続きです。
建前(上等、棟上げ)の前に、
構造材を仮に組立てることを仮組(かりぐみ)といいます。
現在はこの仮組はほとんど行われなくなりました。
8月27日のブログの写真の何枚も並べたべニアはその準備のためのものです。
で、その先がどうなったかというと、
下に敷いたべニアの上に、梁や柱など加工した骨組みを仮に組み立ててみます。
そして調整を図りながら、細部の加工を付け足します。
複雑な角度や寸法を取るにはこの仮組がどうしても必要です。
一か八かで…Ⅳ
2007.09.14
買ったウォールナットの丸太を製材した、そのうちの一枚の写真です。
ワクワク、凄いでしょう。
一か八かで買ったものですが、
ニッコリです。
幅1メートル、長さ2.5メートルの一枚板です。
テーブルにするか、あるいは玄関の踏み台にするか、
それはこれから設計する建物次第。
しかし少なくとも1年は寝かしておきたい。
木が落ち着くのに少なくともそれ位かかります。
このウォールナットの他に「天唐」の幅広、約90㎝の板もストックしてます。
「天唐」というのはテンカラと読み、天然のカラマツのこと。
カラマツは別荘地などでよく見かけますが、あれは植林したものです。
天然のカラマツは少なく、ほとんど節がなく、真っ赤な色をしています。
しかも広葉樹ほど硬くなく、針葉樹ほど柔らかくない。
適度な硬さです。
今回のウォールナットにしろ、天唐のような板はいざ欲しくなっても手に入らないものです。
設計の仕事は設計だけでなく、
このような材料のストックも大事です。
一か八かで・・・Ⅲ
2007.09.06
買った、このような大径木を製材する歯(ノコの歯)はどんなものでしょう。
話は変わりますが、
30年ぐらい前か、新人の頃のタモリはメチャ面白かった。
彼はちゃんとはピアノは弾けないにもかかわらず、
バッハ風、ベートーヴェン風、モーツァルト風と、
特徴をとらえて、それらしく弾き分けていた。
あれは天才!だった。
もう一つ、タモリの出し物の一つに「製材所の風景」がありました。
これも面白かった。
僕が小さい頃は、丸い歯のノコ(丸ノコ)をモーターで回して製材していた。
スィッチを入れると力が弱かったからか、
最初はゆっくり、だんだんと速くなり、回転する音も変わっていく。
その音の微妙な変化を捉えた物まねだった。
だから今でも製材所に行くとタモリを思い出し、
ニコッとしてしまう。
でも今の製材機は丸ノコでなくバンドソー。
歯が帯状になっているものです。
回転も速く、すぐに高速になってしまうから、
今じゃ、タモリがマネしても面白くないに違いない。
一か八かで・・・Ⅱ
2007.09.02
買ったウォールナットの丸太の製材がどうなったか?ですが、
その前に、製材をどのようにして進めるか、
話しましょう。
盤状にスライスする時に、
丸太をどの向きにスライスするかが、とっても大事。
例えば、節は一般に芯に向かって伸びています。
その節に対し、直行方向に、あるいは平行方向に製材するかで、
節の出方が違います。
製材の仕方で価値が全く違ってしまいます。
これには大いに悩まされます。
とはいえ、どんなに悩んでも実際にふたを開けてみないとわからないもの。
最後はエイヤッ!と決めるしかない。
ウン百万のスリリングな掛け。
人生のある場面での決断のようなものです。
次の写真が製材の方向をあーだ、こーだと決めているところです。
。
そのように悩んで決めた後は、「生板の上の鯉」状態。
後は出てくるのを待つしかない
次の写真は、
一枚目が今、開かれようとしています。
一か八かで・・・Ⅰ
2007.08.30
山林の買付けなどの仕事をやる人のことを山師と言うらしいです。
今回の僕はまさしく、言葉通りの山師でした。
ムクの板のテーブルや床板はなかなかいいものです。
現在ほとんど合板、べニアでできています。
床の間の板などほとんどです。
しかしそのような板を突然手に入れるとなると簡単には手に入らないし、
足元を見られて高くなってしまいます。
そこで、たまたま良い丸太が出た時に買い、
5~6㎝の厚さの板に挽いてストックしておき、必要な時にチビチビと使い続ける、
といったことをしています。
なんたってこんな板が1枚でも家の中にあると、
建物全体の雰囲気も変わります。
「買いませんか」と、たまたま出てきた材木が直径1m、長さ2.5mのウォールナット2本。
ユダレが出るほど欲しい、品のある木です!
しかもウォールナットは大好きな木。
しかし、ウン百万円!
しかも製材してみないと、その材がいいかどうかは分からない。
中に洞(うろ)や、汚い節があるかどうかは、外から見ても分からないのです。
それは本当にバクチ。
しかしウォールナット好きとしては、とうとう手を出してしまいました。
大損をするかもしれないのに、です。
製材所ではドキドキ。
製材機の上にウォールナットの丸太が乗った時は、
ギロチン台に乗せられたような気分、でした。
製材をしてどうなったか、
大損か、大儲けか?
次回のお楽しみ。
シラキ・・・。
2007.08.24
現代の名工…
2007.08.17
の紹介です。
最近この人、上手い!思わせる職人がどんどん減っています。
すべてが手っ取り早く、簡単にいく方向に進んでいるからか、
気合も必要ない。
だから知力も減退し、下手になる。
ところで、名人というと何か神秘的な力を持っているように思われがちですが、
そうではなく問題は、この知力。
物事を順序良く適確に考え、それを積み上げる能力です。
今日、会った大工はそんな大工です。
ちょっとオシャベリ、でも照れ屋ですが・・・。
できる職人は、解説したがるから、それは仕方ない。
彼が今やってくれている現場の写真です。
実にきれい!美しい!
きれいに作れるとは、つまりキチッと収まっているわけで、
幾何学的能力があること、なんです。
次の写真はその拡大写真。
しかも、金物(部材と部材を緊結する金属)がいっさい見えませんが、
実は隠して、ちゃんとついています。
ところでこの大工はこのような仕事をどうやって進めたかというと、
実際の大きさ(原寸)をべニアの上に書き、
細かいところがどうなるか、寸法を当たっています。
ちゃんとプロセスを経て作っています。
その下小屋での写真です。
丸い穴は実際の材を固定するために開けたもの。
さらにもう一つの現場の、やはり下小屋での打ち合わせ風景。
なかなかいい面構えの大工さんです。
こんな大工がもっと復活することを祈りたい。
ミッションスクールの…
2007.08.12
建物は外人建築家によるものがかなりありす。
先日の聖心女学院のレツル、それからレーモンド、ヴォーリーズといった建築家です。
日本人の建築家に頼むより、
キリスト教の国から来た彼らに依頼するのは当然の成り行きだったのでしょう。
作風はコルビジェに代表される近代建築というより、
様式主義的色合いが強い。
しかし、なかなか美しい建物があり、
現在でも立派に使われているものがあります。
それで先日のレツルに引き続き今日はヴォーリーズ。
僕の好きな建築家の一人です。
戦前ヴォーリーズは宣教師として日本にやってきた。
なんと彼は薬の、メンソレータム会社も経営していたのです。
宣教師、兼製薬会社経営、病院経営、そして建築家。
こんな建築家はほかに聞いたことがない。
しかも建築家としても優秀で、
日本国内はもちろん、戦前は満州、樺太でも仕事をやっていて、
何千という建築を日本に残しています。
有名なミッションスクールの建物では、
「神戸女学院」、「関西学院」、東京の「明治学院礼拝堂」などなど、
日本全国に散らばっています。
学校建築だけでなく他にもいろいろやっていて、
例えば、京都四条の鴨川べりにある一風変わった建物があり、
気になった方もいると思いますが、
中華飯店の「東華菜館」もそうです。
ヴォーリーズは近江八幡(メンソレータムの会社の名は近江兄弟社)を拠点に活躍しましたから、
関西に多くの建物を残し、関西ではよく知られた存在です。。
外人にも関わらず地域で有名で、また愛される建築家は日本人でもそういないでしょう。
ヴォーリーズの建築を見ると近代建築に欠けた何かを見出すことができます。
まず、理屈抜きの美しさ、人々の共感です。
ヴォーリーズの建物で僕が特に好きなのは神戸女学院。
あんな学校で勉強できたらいいな~と思わせる建物です。
でも僕は絶対無理。
で、下の写真があこがれの神戸女学院です。
聖心女学院の・・・
2007.08.11
門の写真です。
先日、白金(東京都港区)で家を建てたいという方がいて、
敷地を見に行きました。
ずっと昔(もう40年近く前か)白金あたりを歩いていて、
偶然見た「聖心女学院の門」が印象深かったことを思い出し、
敷地を見たあと、聖心は確かこのあたりだったな~と、尋ねてみました。
もちろん妃殿下がご卒業なさった学校だけのことはあり、ガードは固く、
門より中にいることはできませんでしたが…。
この門のデザインはかなり特異です。
でも何か引き付ける力があります。
設計をしたのはヤン・レツルというチェコの建築家。
20世紀初頭に日本で設計事務所をやっていた人で、
何でかは分からないが、最後はプラハで自殺したそうだ。
ところでこのレツルが設計した建物はほとんど現存してませんが、
有名なのが広島の原爆ドーム。
彼は原爆がさく裂する前に亡くなっているから、
自作が後世、あのような運命をたどるなど思いもよらなかったでしょう。
期せずして、世界遺産を設計したことになるわけだ。
ところで聖心女学院の門は、和風の要素もあり、
アーチなどはもちろん西洋を思わせる。
またアールヌーボーやセゼッションも感じさせる。
さまざまな要素を一つの形にまとめ上げることができたのは並ではないようです。
かって日本にやって来た好きな建築家の一人に、
メンソレータムの会社もやっていたヴォーリーズがいるが、
彼の作品は結構残っている。
しかしレツルの作品はほとんど見ることができません。
もう少し残っていたら、と思う建築家だ。
先日もあったのですが…。
2007.08.08
拙作・泰山館を…Ⅱ
2007.08.08
見に来た大学院生のグループが感心していたことの一つに、
「小割りの窓」があった。
今、一枚ガラスの大きな嵌め殺しの窓が流行っている。
スカッとしてカッコよく、現代建築にはなくてはならないボキャブラリーの一つ。
僕も時々場所によっては使う。
ところがこの泰山館には「小割りの窓」が多用されている。
実は窓の大きさにはいろんな作用があって、
遠くの景色を見るには大きな一枚ガラスの窓を、
逆に近くに視線を持っていくにはこの「小割りの窓」が有効だ。
泰山館では、中庭の木々に視線を持っていくためのものだ。
これはその場に立って実感してみないとわかりにくいことだが、
写真でも多少は理解していただけると思う。
デザインというのは、ある程度の理屈がある。
拙作・泰山館を・・・
2007.07.31
総武線から見る風景・・・
2007.07.28
って、結構いい。
快速の中央線より、総武線が好き。
中央線は疲れるが、まだ総武線はのんびり。
それに御茶ノ水―新宿間は中央線、総武線とも同じようなところを走っているにもかかわらず、
見える緑の量が違う。
その中でも一番好きなのが、
四谷から市谷に向かう時の左側に見える松林。
ほんの瞬間だが、
東京にも電車からこんな風景が見えるのかと喜んでしまう。
それにしてもこのくらいの風景で喜んでしまう僕らはなんと悲しいこと。
少なくともこんな風景が御茶ノ水―新宿間ぐらい続いていたら・・・。
明後日は参院選。
「美しい日本」本気で、本当にやってくれないかなー。
そうしたら1票入れてもいいのだが、
そうならないだろうなー。
そう思ってしまう自分が悲しい。
去年の雪辱、・・・Ⅳ
2007.07.27
いやー、負けちゃった。
でも面白い試合だったし、日本の課題がはっきりした試合だった。
しかも、オジャマ虫さんの書き込みのように、
Wカップを考えると負けて、それはそれで良かったのではないか。
予選突破はそう甘くないと、これからの精進がヒートアップするに違いない。
オーストラリアなどは本番はWカップ、なんて捨て台詞を言って帰って行った。
サウジとの一戦も例の如くプロジェクターで皆と観戦。
終わったのは0時頃。
そのあとはwith BEERで3時過ぎまで反省会。
東郷平八郎が日本海海戦で使ったT字戦法が日本代表に使えないかなんて、
かなり酔ってバカなことを言ったりしていた。
こんなこと書くと仕事をしてないように思えるかもしれませんが、
仕事抜きで皆とワイワイやれる、
たまにしかない、息抜きの楽しい一瞬です。
それにしても、決勝は凄いことになってしまった。
あの湾岸戦争をやったイラク対サウジだ。
しかも3位決定戦が日本対韓国。
何もなければいいが。
去年の雪辱、・・・・Ⅲ
2007.07.24
日本―カタール戦で分けた時に、オシムの怒りが爆発。
半分本気、半分シュミレーションだったに違いない。
そのあとの試合では選手の動きががらりと変わった。
また、オーストラリア戦の前にPKの練習をさせていた。
PKまでもつれ込むことも予想されたが、
オシムの本当の本当の狙いは、
日本代表にタフな試合を覚悟で臨ませることにあった。
オシムは、
「過去、現在、未来」を、いつも通して見ているようだ。
しかもその時間軸は短期、中期、長期と、さまざまに絡み合っている。
なるほど、できる人とはそういうものなんだ。
去年の雪辱、・・・・Ⅱ
2007.07.22
昨年のドイツでみた日本―オーストラリア戦、
体力的にオーストラリアが日本を圧倒していた。
オーストラリア選手は日本に比べ、
身長も高く、がっしりしていた。
日本選手は跳ね飛ばされ、小突かれたり、
子供扱いだった。
体格的に劣る同じ日本人として、本当に悔しかった。
だから今回、又あのオーストラリアと当たることになり、
オシムになったとは言え、かなり難しい試合だと思っていた。
しかし結果は勝ち。
よくやってくれたと思う。
日本があのような頑強で屈強な相手に勝つには、
今オシムがとっている可変性のある連携を中心にした組織力、
いわゆるオシムの言う「日本化」しかないだろう。
それが試される、そんな意味合いを持った試合だった。
ところで昨日TVを見ていて、気づいたことは、
TVでは、オーストラリア選手のあの頑強な体格が見えにくいこと。
ナマでみると体が物体として、エネルギーとして感じられる。
しかしTVではそれらが捨象され、薄っぺらになってしまう。
現実とは大違い。
やはりTVはバーチャルなのだ。
実際に目の前で見るオーストラリア選手と、
TVで見る彼らの「見え方の違い」が、
大いに勉強になった。
実は、建築もバーチャル化してきている。
設計のプロセスが、近代建築とともに、
さらにパソコンの導入とともに、バーチャル化している。
実現した建物は、バーチャルの物質化、
あるいは間接物質、と言えばいいのか。
オーストラリアに勝ったうえに、
いろいろと考えさせられた、グーな試合でした。