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フラクタルどおりの枝

2019.12.10

裏路地を歩いていたら、このような枝が。

完璧なまでにフラクタルな枝ぶりですね。

Apartment藤 Ⅱ

2019.09.16

先日紹介したApartment藤(Fuji)の構造模型です。

木造で作るときは、何時も写真のような構造模型を作る。

材料はスチレンボードで、柱や梁の大きさに切って組み立てる。

このような構造模型を作ると、合理的な組み立て方を考えやすい。

ところで、この建物は、真ん中に中庭がある木造3階建ての集合住宅だけど、中庭には、コンクリートにキラキラと輝く美しいモザイクタイルを張った流しを作る予定。

模型の柱や梁の間の先に、そのような風景を想像しています。

設計中! Apartment Fuji

2019.08.23

池袋の駅近くに木造3階建ての集合住宅を設計中です。

地下鉄副都心線、池袋駅を出て、歩いて3~4分くらいの、超駅近。

この集合住宅のゲートをくぐると、建物に囲まれた、3層吹き抜けの中庭があります。

この中庭に面して、各階の廊下や階段があります。

だから、居住者は皆、この中庭を通って各住戸に入ります。

かつて、中国の街中にある四合院住宅で、一歩建物に入ると、静寂な中庭があったのが忘れられない。

その四合院住宅の中庭は、そう広くはなくはなかったが、3層分の高さの吹き抜けから光が落ちていた。

だから仄暗い明るさで、それがかえって中庭に親密感を漂わせていた。

計画している建物の中庭を下から見上げたところです。

外観です。

完成は来年暮。

入居募集が始まったら、またこのブログにアップします。

2019年度ニューモード Ⅱ

2019.08.16

ベトナムの菅笠を被ったままコンビに入った。

レジに品物を持って行ったら、レジの女の子がクスクス笑っている。

どうも傘を見て笑っているようだ。

胸に付けている名札を見たら「リン」とカタカナで書いてある。

ひょっとしてベトナムの子ではないかと思い「ベトナムの人?」と聞いたら、ハイ、とはにかんで答えてくれた。

さらに、カタコトの日本語で、「ドコデカッタ?」と聞いてきた。

「AMAZON!」と答えたら、二人で大笑い。

この傘はベトナムで、何というのか気になっていたので、聞いたが、よく聞き取れない発音。

そこで、紙に書いてもらった。

どうも、ノ、とロを間違っているようだが、まだ日本語がよくできないのか、それとも、ベトナム語のノは日本語のノ、とロの間にあるのかもしれない。ロを間違っているようだけど、ベトナム語のNOは日本語のロに近いのかもしれない。

2019年度ニューモード Ⅰ

2019.08.11

暑いですねー。

自宅から仕事場からへ、毎日歩いて通っているが、この暑さだと10分も歩くと、汗びっしょりになってしまう。

頭にあたる日差しも厳しく、昨年は麦藁帽子をかぶったが、麦藁帽子だと帽子の中が蒸れる。

で、今年は日傘、というのも考えたが、男にはまだ抵抗があるし、両手をハンドフリーにしておきたい。

東京都は来年の猛暑の中で開かれるオリンピックのために、日傘状の帽子を発表したが、ダサイ!

そこで自分でデザインをしてみようと思ったが、出来上がるまでは取り敢えず、ベトナムの菅笠(すげがさ)をかぶることにした。

頭と笠の間に五徳と呼ばれるものでスペースをを作るので、帽子よりは涼しい。

最初、目白通りをかぶって歩くには勇気が入ったが、今は慣れてしまった。自分自身にはこの格好が見えないというのもあるけど。

この帽子をかぶっている人をベトナムで見ても何とも思わないし、日本でも釣り人がかぶっていても、さりありなん、と思うだけ。

恰好の恥ずかしさって、何んなんだろうな、などと思索にふけ乍ら歩いている。

ところで新しい帽子のデザインだが、帽子と頭の間に隙間を作り、風が通りぬけるようにするにはどうしたらいいか、帽子自体の温度が上がらないようにするにはどうしたらいいか、といった機能的な面に、もちろんデザイン的にもかっこいいものにしたい。

こう考えると、帽子のデザインも建築の設計も同じだなーと思える。


		                                

「家づくり学校」特別公開講座

2019.08.11

泉が校長を務めています、家づくり学校で、

『家づくり学校特別公開講座開催』 を開きます。

8月25日14時~17時 、工学院大学にて

講師 三澤文子

テーマ 『建築家のなすべき仕事ー三澤文子、自分を語る』

家づくり学校の受講生以外の方々も参加頂ける講座です。

詳しくはNPO法人家づくりの会のHPイベントページをご覧ください。

二井進氏の作品

2019.08.04

僕はいろんな先生に勉強させて頂いたが、二十歳代の頃の先生は、造形作家の小野襄先生。

二井さんも小野襄先生の弟子で、僕は建築家になったが、彼は造形作家になった。

彼から個展の案内をもらい、銀座に見に行った。彼の作品はこれまでにもちょくちょく見ているが、今回の作品はこれまでと違い、新しい境地を開いた気がした。

作家にとって、新しい境地を開くのは大変なこと。同じモノ作りとして、よく分る。

記念に同じものを作ってもらえないか、頼んで帰った。この作品はマスターモデルを先ず作り、それから型取りして作ったものだから、複製を作ることができる。

1~2週間して作品が送って来て、我が家の床の間に飾った。

現代的な作品だけど、和室の床の間によく納まっている。

沖縄紀行 最終回 Ⅷ  識名園

2019.07.27

識名園(しきなえん)は那覇にある琉球王家の別邸。

第二次世界大戦で破壊されたが戦後、復元された建物。

那覇の街から遠くなく、直ぐに行ける。

 

識名園のシキナって、何か遠い昔、聞いたことがあるな~、シキナ、シキナ・・・、そう、オキシキナ!

プロレスラーの力道山が活躍していたころの、レフリー(審判)の沖シキナさん!

レフリーの沖シキナさんにはわからないように、覆面をしたデストロイヤーかミスターXだったかが、覆面の下に忍ばせていた凶器を取り出すのが、いつものパターン。

凶器を取り出すのが、観客にははっきりとわかるが、沖シキナは気付かない。

そして日本人レスラーに襲い掛かる。

凶器で日本人レスラーは見る見るうちに額に鮮血が…。

それでも、沖シキナさんは外人レスラーを止めに入るどころか、凶器を使っていることさえ気付かない。

観客のイライラは募るばかり。

しかし、そのいらいらが絶頂に達したころ、力道山、空手チョップが炸裂!

バッタ、バッタと外人レスラーは倒れる。

あの時のレフリーが沖シキナさんだった。

外人レスラーが凶器を使っていることに気付かない、とぼけたダメな、名役者のレフリーだった。

識名園には全く関係のない話になったが、識名という姓は沖縄に多いのだろうか。

沖識名さんも確か沖縄出身だった。

 

そんなことを思い出しながら識名園を見た。この識名園は本土の人にはあまり知られてないが、回遊式の庭園で、建物もいい。

園路には琉球石灰岩が敷き詰められている。

園内で、まず目についたのは、池に浮かぶ六角堂。

二重になった屋根の重みに対し、下部は六方ともガラス戸で囲まれた部屋の軽さと、外部の雨端(あまはじ)柱の直線で構成された対比が、上手い。

民芸運動の創始者、柳宗悦は沖縄の民芸についての高く評価しているが、この六角堂についても絶賛したとか。

柳宗悦の「沖縄の人文」です。

御殿は建物の南と東に沖縄特有の雨端(アマハジ)を設け、雨と日差しを遮る。

柱はチャーギと呼ばれるイヌマキの木。

この根元が大変面白い。

水に大変強く、雨端に使われるチャーギは根元の部分から使われる。

沖縄紀行 Ⅵ 中村家住宅

2019.07.22

沖縄の建物と言えば、「中村家住宅」

18世紀に建てられた、豪農の住まいで、重要文化財にも指定されれている。

写真では何度も見ていたが、実際に見たら、これはすごい!

先ず門の左右は、分厚い琉球石灰岩の塀が垂直に積んであり、正面には、門の外から内部が見えないようにしたヒンプンが立ちはだかっている。

この領域は垂直、水平に構成された規矩正しい石積みで、威厳に富んでいる。

ヒンプンを迂回して、敷地内にいると三つの建物で囲まれた中庭に入る。

玄関とは打って変わって、建物に囲まれた中庭は、静寂さと、安心感が漂いつつも、依然として気品がある。

人間の足のような形をした、チャーギと呼ばれる柱が、回廊の列柱のように並んでいる。

屋根には樋はもちろんなく、沖縄の豪雨から深い庇と、段階的に上がる床で、建物を守り、また建物の内外を連続的につないでいる。

屋敷の裏に回ると豚小屋が。

建物の裏側に、「裏座」と呼ばれる部屋がある。

この部屋がなかなかいい。

北東の奥の静かな部屋だ。

障子は引き違いと、内開きを組み合わせ、室内にいながらも、外と共にある。

寝転んで、本でも読んでいるうちに、眠りにつくことを想像してしまう。

沖縄紀行 Ⅶ 備瀬

2019.05.12

沖縄美ら海水族館の近くに備瀬(びぜ)という、まことに美しい集落がある。

福木(ふくぎ)という沖縄独特の木が道の両側に植えられ、台風から村を守っている。

福木の葉っぱは厚く、台風の風は遮るが、そよ風は通すらしい。

道はサンゴ礁の砂なのだろう、白く、掃き清められている。

また、道は福木で覆われていて、そこにフクギから小木漏れ日が落ち、何とも言えない幸せな気持ちにさせてくれる。

道幅は細くなったり広くなったり、道路と敷地の境界は直線でなく多少曲がっている。

それらが堅苦しさをなくし、これぞ人間が住むところだよねー、と思わせる。

福木で囲まれた中にある屋敷の屋根は、セメント瓦だったが、起伏が大きいので、陰影が強く、がっしりとした存在感がある。

窓の月・芍薬

2019.04.30

而邸(自宅のこと)の生垣に錦木(にしきぎ)を植えていた。
錦木は春は新芽が青々とし、秋になると真っ赤に紅葉する。
冬になると葉が全て落ち枝だけになってしまうが、その枝だけもなかなかいい。
毎年楽しんでいたが、ここのところ元気がなくなってきていた。
ダメになる度に、何本かずつ植え替えていたが、生け垣の樹形が壊れてしまった。
そこで、椿のうち白い花を付ける樹種、5~6種類だけで生け垣を作ることにした。
そのうちの一つが「窓の月」という椿。
その花を花瓶に。
錦木には随分楽しませてもらい、残念な気持ちもあるが、令和の時代はいろいろな白い椿を楽しむことにしよう。
花瓶はイギリスの昔のインク壺だったもの。

先日芍薬の花束が送られてきた。
2年前に亡くなった友人の追悼本の原稿執筆のお礼に送られてきたものだ。
「窓の月」が枯れた後だったので早速活ける。

白から真っ赤な花へ。
芍薬は部屋の中をいっぺんに明るくさせる。
花を見ては彼を思い出した。
彼が笑っているようでいい。

ところで芍薬と牡丹はよく似ていて、見分けにくい。
でも、見分け方は簡単。
牡丹の葉は三つに割れていること。

沖縄紀行 Ⅴ シーサー

2019.04.24

沖縄紀行が尻切れトンボになっていました。
また再開です。
沖縄で思わずニコッとしてしまうのが、シーサー。
どのシーサーも愛嬌がある。
怖そうでもチッとも怖くない。
重要文化財の「中村家住宅」の、立派で、勇猛で、ユーモアあふれるシーサーです。

次の2つはいずれもフクギの並木道で有名な備瀬の集落にあったシーサーです。
こちらは屋根に置いてなく、目の高さにある。
対面して、思わずニコッとしてしまう。

枝垂桜

2019.04.13

今年の桜はきれいだった。
3月の末頃から徐々に咲き始め、時間をかけて8日頃に満開。
我が家(而邸)の枝垂桜も11年目、ずいぶん大きくなり沢山の花を付けるようになった。

こちらは、拙作Apartment鶉(じゅん)の枝垂桜で、植えて20年近く。

植物が大きくなるには時間がかかるが、
それだけに感慨深く、重みを感じる。

「ぎんきょう」が再開します

2019.04.11

目白にあったフレンチ「ぎんきょう」(GINKGO)は大変惜しまれて閉店しましたが、小田急線の東北沢駅よりわずか2分のところで、再開します。
今年の11月20日オープンです。
本日地鎮祭があり、秋のオープンに向けいよいよ建設が始まりました。

左の貫禄のある人が「ぎんきょう」の沖江シェフ。

建物は目白の店ほどは大きくありませんが、目白の店のテイストを残しています。
目白の「ぎんきょう」を愛して下さった皆さんが、また新「ぎんきょう」に来ていただくことを祈っています。

2階建てパーゴラ

2019.04.06

5年ほど前に新宿で建てた住宅の南面する1,2階の窓にはパーゴラがついています。
1階のパーゴラは地上3メートルぐらい、2階は6メートルくらいある。
2階のパーゴラは藤、1階のパーゴラには葡萄がはっている。

パーゴラの植物を落葉樹にすると冬は太陽の光が室内に入り、夏は日射を遮ってくれるという温熱効果がある。
それだけでなく、葉っぱからの木漏れ日はかけがえのない美しさだ。

「家づくり学校」第11期の募集

2019.03.06

泉が校長を務めています「家づくり学校」の第11期が5月より開講します。
現在、新入生の募集中です。
家づくり学校は1か月に1回、4年間、今活躍している建築家の下で様々な知識を得ます。
詳しくはホームページより、早めの申し込みを。。

旧軽井沢駅舎

2019.02.20

また軽井沢で別荘を設計することになった。
新幹線で軽井沢駅で降り、北口に出て左手すぐ近くに昔の軽井沢駅舎が復元されいる。
新幹線の開業とともに壊された旧軽井沢駅舎の復元だが、現在はしなの鉄道軽井沢駅舎として使われている。
このブログでも以前書いたことがあるが、この建物はいつ見ても感心させられる。

ファサードがとってもきれいで、それを可能にするためのよくよく考え抜かれたディテールがたくさん使われている。
軽井沢に行かれた折には、駅のすぐ横なので是非、繁々と見てみて下さい。

沖縄紀行 Ⅳ グスクのクネクネは?

2019.02.11

琉球の城壁は何故クネクネしているのか?が、前回のクエスチョンだった。
ところで、最近山城ブーム。
TV番組でいつも笑顔の千田 嘉博さんが城郭の解説をしておられる。
そんな番組を見ていても本土の山城の城壁は真っ直ぐでカクカクと連なっている。
琉球のようにクネクネとカーブしたものを見たことがない。
本土だって山城を作るときは地形に合わせるはずだからクネクネになる可能性は大きかったはず、なのに琉球の城壁だけがクネクネなのか?

そこで、沖縄は柔らかい琉球石灰岩で覆われているから削るのが簡単で、山城を作るときはまず山を削って城壁としての形に整え、それに合わせて石を積む。
そうすると土圧がかからないから石垣の下部の勾配を緩くする必要がない。
そうすると自然と地形に合ってクネクネになったのかも。
本土では石が固く、削ることは滅多にせずに、土を盛ることが多く、積むとなれば真っ直ぐ積んだ?
結構いい線まで推察できたと勝手に思っているが、何の確たる証拠がない。
分かっている人がいたら教えてください。

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