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沖縄紀行 最終回 Ⅷ  識名園

2019.07.27

識名園(しきなえん)は那覇にある琉球王家の別邸。

第二次世界大戦で破壊されたが戦後、復元された建物。

那覇の街から遠くなく、直ぐに行ける。

 

識名園のシキナって、何か遠い昔、聞いたことがあるな~、シキナ、シキナ・・・、そう、オキシキナ!

プロレスラーの力道山が活躍していたころの、レフリー(審判)の沖シキナさん!

レフリーの沖シキナさんにはわからないように、覆面をしたデストロイヤーかミスターXだったかが、覆面の下に忍ばせていた凶器を取り出すのが、いつものパターン。

凶器を取り出すのが、観客にははっきりとわかるが、沖シキナは気付かない。

そして日本人レスラーに襲い掛かる。

凶器で日本人レスラーは見る見るうちに額に鮮血が…。

それでも、沖シキナさんは外人レスラーを止めに入るどころか、凶器を使っていることさえ気付かない。

観客のイライラは募るばかり。

しかし、そのいらいらが絶頂に達したころ、力道山、空手チョップが炸裂!

バッタ、バッタと外人レスラーは倒れる。

あの時のレフリーが沖シキナさんだった。

外人レスラーが凶器を使っていることに気付かない、とぼけたダメな、名役者のレフリーだった。

識名園には全く関係のない話になったが、識名という姓は沖縄に多いのだろうか。

沖識名さんも確か沖縄出身だった。

 

そんなことを思い出しながら識名園を見た。この識名園は本土の人にはあまり知られてないが、回遊式の庭園で、建物もいい。

園路には琉球石灰岩が敷き詰められている。

園内で、まず目についたのは、池に浮かぶ六角堂。

二重になった屋根の重みに対し、下部は六方ともガラス戸で囲まれた部屋の軽さと、外部の雨端(あまはじ)柱の直線で構成された対比が、上手い。

民芸運動の創始者、柳宗悦は沖縄の民芸についての高く評価しているが、この六角堂についても絶賛したとか。

柳宗悦の「沖縄の人文」です。

御殿は建物の南と東に沖縄特有の雨端(アマハジ)を設け、雨と日差しを遮る。

柱はチャーギと呼ばれるイヌマキの木。

この根元が大変面白い。

水に大変強く、雨端に使われるチャーギは根元の部分から使われる。

沖縄紀行 Ⅵ 中村家住宅

2019.07.22

沖縄の建物と言えば、「中村家住宅」

18世紀に建てられた、豪農の住まいで、重要文化財にも指定されれている。

写真では何度も見ていたが、実際に見たら、これはすごい!

先ず門の左右は、分厚い琉球石灰岩の塀が垂直に積んであり、正面には、門の外から内部が見えないようにしたヒンプンが立ちはだかっている。

この領域は垂直、水平に構成された規矩正しい石積みで、威厳に富んでいる。

ヒンプンを迂回して、敷地内にいると三つの建物で囲まれた中庭に入る。

玄関とは打って変わって、建物に囲まれた中庭は、静寂さと、安心感が漂いつつも、依然として気品がある。

人間の足のような形をした、チャーギと呼ばれる柱が、回廊の列柱のように並んでいる。

屋根には樋はもちろんなく、沖縄の豪雨から深い庇と、段階的に上がる床で、建物を守り、また建物の内外を連続的につないでいる。

屋敷の裏に回ると豚小屋が。

建物の裏側に、「裏座」と呼ばれる部屋がある。

この部屋がなかなかいい。

北東の奥の静かな部屋だ。

障子は引き違いと、内開きを組み合わせ、室内にいながらも、外と共にある。

寝転んで、本でも読んでいるうちに、眠りにつくことを想像してしまう。

沖縄紀行 Ⅶ 備瀬

2019.05.12

沖縄美ら海水族館の近くに備瀬(びぜ)という、まことに美しい集落がある。

福木(ふくぎ)という沖縄独特の木が道の両側に植えられ、台風から村を守っている。

福木の葉っぱは厚く、台風の風は遮るが、そよ風は通すらしい。

道はサンゴ礁の砂なのだろう、白く、掃き清められている。

また、道は福木で覆われていて、そこにフクギから小木漏れ日が落ち、何とも言えない幸せな気持ちにさせてくれる。

道幅は細くなったり広くなったり、道路と敷地の境界は直線でなく多少曲がっている。

それらが堅苦しさをなくし、これぞ人間が住むところだよねー、と思わせる。

福木で囲まれた中にある屋敷の屋根は、セメント瓦だったが、起伏が大きいので、陰影が強く、がっしりとした存在感がある。

窓の月・芍薬

2019.04.30

而邸(自宅のこと)の生垣に錦木(にしきぎ)を植えていた。
錦木は春は新芽が青々とし、秋になると真っ赤に紅葉する。
冬になると葉が全て落ち枝だけになってしまうが、その枝だけもなかなかいい。
毎年楽しんでいたが、ここのところ元気がなくなってきていた。
ダメになる度に、何本かずつ植え替えていたが、生け垣の樹形が壊れてしまった。
そこで、椿のうち白い花を付ける樹種、5~6種類だけで生け垣を作ることにした。
そのうちの一つが「窓の月」という椿。
その花を花瓶に。
錦木には随分楽しませてもらい、残念な気持ちもあるが、令和の時代はいろいろな白い椿を楽しむことにしよう。
花瓶はイギリスの昔のインク壺だったもの。

先日芍薬の花束が送られてきた。
2年前に亡くなった友人の追悼本の原稿執筆のお礼に送られてきたものだ。
「窓の月」が枯れた後だったので早速活ける。

白から真っ赤な花へ。
芍薬は部屋の中をいっぺんに明るくさせる。
花を見ては彼を思い出した。
彼が笑っているようでいい。

ところで芍薬と牡丹はよく似ていて、見分けにくい。
でも、見分け方は簡単。
牡丹の葉は三つに割れていること。

沖縄紀行 Ⅴ シーサー

2019.04.24

沖縄紀行が尻切れトンボになっていました。
また再開です。
沖縄で思わずニコッとしてしまうのが、シーサー。
どのシーサーも愛嬌がある。
怖そうでもチッとも怖くない。
重要文化財の「中村家住宅」の、立派で、勇猛で、ユーモアあふれるシーサーです。

次の2つはいずれもフクギの並木道で有名な備瀬の集落にあったシーサーです。
こちらは屋根に置いてなく、目の高さにある。
対面して、思わずニコッとしてしまう。

枝垂桜

2019.04.13

今年の桜はきれいだった。
3月の末頃から徐々に咲き始め、時間をかけて8日頃に満開。
我が家(而邸)の枝垂桜も11年目、ずいぶん大きくなり沢山の花を付けるようになった。

こちらは、拙作Apartment鶉(じゅん)の枝垂桜で、植えて20年近く。

植物が大きくなるには時間がかかるが、
それだけに感慨深く、重みを感じる。

「ぎんきょう」が再開します

2019.04.11

目白にあったフレンチ「ぎんきょう」(GINKGO)は大変惜しまれて閉店しましたが、小田急線の東北沢駅よりわずか2分のところで、再開します。
今年の11月20日オープンです。
本日地鎮祭があり、秋のオープンに向けいよいよ建設が始まりました。

左の貫禄のある人が「ぎんきょう」の沖江シェフ。

建物は目白の店ほどは大きくありませんが、目白の店のテイストを残しています。
目白の「ぎんきょう」を愛して下さった皆さんが、また新「ぎんきょう」に来ていただくことを祈っています。

2階建てパーゴラ

2019.04.06

5年ほど前に新宿で建てた住宅の南面する1,2階の窓にはパーゴラがついています。
1階のパーゴラは地上3メートルぐらい、2階は6メートルくらいある。
2階のパーゴラは藤、1階のパーゴラには葡萄がはっている。

パーゴラの植物を落葉樹にすると冬は太陽の光が室内に入り、夏は日射を遮ってくれるという温熱効果がある。
それだけでなく、葉っぱからの木漏れ日はかけがえのない美しさだ。

「家づくり学校」第11期の募集

2019.03.06

泉が校長を務めています「家づくり学校」の第11期が5月より開講します。
現在、新入生の募集中です。
家づくり学校は1か月に1回、4年間、今活躍している建築家の下で様々な知識を得ます。
詳しくはホームページより、早めの申し込みを。。

旧軽井沢駅舎

2019.02.20

また軽井沢で別荘を設計することになった。
新幹線で軽井沢駅で降り、北口に出て左手すぐ近くに昔の軽井沢駅舎が復元されいる。
新幹線の開業とともに壊された旧軽井沢駅舎の復元だが、現在はしなの鉄道軽井沢駅舎として使われている。
このブログでも以前書いたことがあるが、この建物はいつ見ても感心させられる。

ファサードがとってもきれいで、それを可能にするためのよくよく考え抜かれたディテールがたくさん使われている。
軽井沢に行かれた折には、駅のすぐ横なので是非、繁々と見てみて下さい。

沖縄紀行 Ⅳ グスクのクネクネは?

2019.02.11

琉球の城壁は何故クネクネしているのか?が、前回のクエスチョンだった。
ところで、最近山城ブーム。
TV番組でいつも笑顔の千田 嘉博さんが城郭の解説をしておられる。
そんな番組を見ていても本土の山城の城壁は真っ直ぐでカクカクと連なっている。
琉球のようにクネクネとカーブしたものを見たことがない。
本土だって山城を作るときは地形に合わせるはずだからクネクネになる可能性は大きかったはず、なのに琉球の城壁だけがクネクネなのか?

そこで、沖縄は柔らかい琉球石灰岩で覆われているから削るのが簡単で、山城を作るときはまず山を削って城壁としての形に整え、それに合わせて石を積む。
そうすると土圧がかからないから石垣の下部の勾配を緩くする必要がない。
そうすると自然と地形に合ってクネクネになったのかも。
本土では石が固く、削ることは滅多にせずに、土を盛ることが多く、積むとなれば真っ直ぐ積んだ?
結構いい線まで推察できたと勝手に思っているが、何の確たる証拠がない。
分かっている人がいたら教えてください。

沖縄紀行 Ⅲ

2019.01.28

なぜ沖縄の城壁はクネクネと曲がって本土のと違っているのか。
いろいろと本を探したり、ネットで調べたが未だ確たることはわからない。

しかし、これは全くの想像であるが、
平面的には山のクネクネと曲がった地形に沿い、その曲がった各場所の断面方向は適度な角度を付けて真っ直ぐ削り落としたのではないか、という仮説を思いつく。

その証拠として、
1.グスクは平野にはなく、全部山城で丘の頂上にあり、山肌を削ることができる。
2.平らなところに作るとなれば、土圧がかかるから、熊本城の武者返しのように、下部は緩、上は急にせざるを得ない。
しかしグスクは垂直方向は真っ直ぐ。
それは石垣に大きな土圧がかかっていないことを意味し、石垣の下地が安定的で、山を削ったことが考えられる。

そんなことを考えていたら、
こんな標識が。

わー、こわ!

今年面白かった本

2018.12.30

何といっても面白かったのは「ホモ・デウス」
昨年紹介した、世界的に話題になった「サピエンス全史」のノア・ハラリの続編ともいえる本。
サピエンス全史は題名の通り人類史だけど、ホモ・デウスはこれからの人類の未来について書いた本。
以前、未来工学何て言うのが流行ったことがあったけど、この本はそんなに安っぽいものではない。
これまでの人類の歴史を踏まえ、現代の科学が生み出した生物工学や情報工学が人類に何をもたらすか、人類の未来について広い視野で描いた本。
昨年面白かったのはサピエンス全史だったが、今年も引き続き同じ著者の本となった。
また最近、スピノザ(エチカという本が有名)が見直されているが、17世紀のスピノザと根底で通じるものがある。
それはAI、つまりアルゴリズムをどう捉え、対応していくかということに全く時代の違うスピノザとハラリは考えの基礎を提示してくれる。

サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来
エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫)
なお2019年正月1月1日、NHK BS 21:00~、このハラリのホモ・デウスの番組があります。

もうひとつ面白かった本、「特攻セズ 美濃部正の生涯」
第二次世界大戦末期、もしも自分が生きていたら戦争に対しどのようなスタンスを取っただろうかと考えたことがあった。
人間は時代に対し客観的に見ることはなかなかできない。
後の人だって、後の時代の眼鏡を通してしか見ることができない。
果たして自分はどうだったのだろうか?
余り自信がない。

この本の美濃部正は特攻攻撃(いわゆるカミカゼ)の合理性を疑っていたが、上部に対して意見を上奏することさえ認められない中で、あえて反逆した人。
ただ反逆しただけなら、牢屋に入れられ、場合によっては罪人として死に追いやられただろうが、彼は違った。
航空機を使った別の攻撃法、生き返ってくる夜襲を上奏し、夜襲によってそれなりの成果を上げ、戦後も自衛隊を育て軍人として人生を全うできた。

自分が特攻を命じられたらどうするか。
逃げる。
何度も出陣するが、途中故障を起こし引き返し国賊となる。
天皇陛下万歳ではなく、お母ーん言って特攻する。
美濃部のように、効果のある合理的戦闘方法を命がけで提案する。
それ以前に、世の中から後ろ指差されても反戦の姿勢を貫く(あの時代そんなことはほとんど不可能だっただろうが)。
・・・・・
いろいろあるだろうが、やはり自分の行動を決定するのは、
どれだけ世界を広く理解できるかに、先ずはかかっていると思う。
思想信条を超えて美濃部正の生き方は今に生きる私たちに、論理性と自分の信念を貫くことの大事さを示している。
特攻セズー美濃部正の生涯
この本も併せて読むと美濃部をさらに理解できる。
特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た (朝日文庫)
建築の本です。
「脱住宅 小さな経済圏を設計する」山本理顕+仲俊治さんの本です。
自分も集合住宅の設計をこれまでにも沢山やってきたが、大変共感できる本。
脱住宅: 「小さな経済圏」を設計する

沖縄紀行Ⅱ

2018.12.29

講演は泉流の架構を現した木構造の表現について。
講演が終わり、夜になり沖縄風の建物で「うちなー料理」を御馳走になる。
当然それには泡盛がついてくる。
泡盛は強いから、できるだけ飲まないようにしようと心に決めていたが、あまりにもの美味しさに簡単にその覚悟は崩れ去った。

翌日は沖縄の建築巡り。
先ずは世界遺産、首里城。
沖縄は明治以前は独立国家で、今でも島全体が本土とは相当違う印象があるが、首里城も本土の城の作りとは全く違う。
その違いの一つは城壁にある。
本土の城壁は平面的には直角を基本に作られているが、琉球の城(グスク)はクネクネとうねっている。

しかし直行方向(断面)は意外と真っ直ぐだ。本土の城壁は下の方から段々と勾配がきつくなって弓なりになっている。
それは下の方が土圧が大きくなるから弓なりになる方が自然だが、琉球の城ではそうではない。
この城壁の形態の違いについてはこの後も、ずっと考え続けた。

建物のスタイルはやはり中国の影響を受けているのは一目瞭然。

ディテールもいろいろと面白い。
面白いのは窓の上部に斜めのスカートをはいたような壁があること。

恐らく鴨居から水が入らないようにしたためだろう。

また、日本と清への両属ということから、使節を受け入れる建物はそれぞれの国の様式を取り入れている。
日本の施設を受け入れる建物には茶室もあったりするが、やはり本土の建物とはどこかしら違う。
なんか違うよねー、と思いながら見ていたら、母屋、土庇を掛けた下屋の作りでなく、二つが一体となって、一つの屋根の下にあった。

土庇を掛けないとこのようになるのかと、逆に関心。

沖縄紀行Ⅰ

2018.12.11

47都道府県のうち行ったことがなかったのは沖縄県だけだった。
一度は行ってみたいなー、と思っていたが、何故か沖縄だけには縁がなかった。
ところが、「泉さん、沖縄で講演しませんか?」との誘いがたまたまあり、
即、やります!と返事。

どうも最近沖縄で木造建築が増えてきているらしく、木造について話してくれないかとのこと。
これまで沖縄と言えば、RCまたはブロック造の建物ばかり、と聞いてきた。
台風は来るし、シロアリの被害が多いとのことで、戦後そうなってしまったようだ。
だが、最近の着工件数のうち何と、30%くらいが木造とのこと。
本土からビルダーもどんどん進出しているらしい。
理由は、RCだと少なくとも坪90万はするが、木造だと60~70万で作ることができ、コストが原因らしい。
プレカット工場も4つあるとのこと。
材木は木造に適切な木材がないので、宮崎県辺りから運んでいる。

でもまだまだ本土とは違ってRCによる街の景観だ。

本土のRCや木造が混在したゴチャゴチャした景観から木造を差し引けばこのようになるのか。

初めての沖縄だったが、とっても印象的だった。
ここ2~3回、沖縄レポートします。

中村彜アトリエ

2018.11.29

仕事場と自宅の間に画家、中村彜(つね)のアトリエがある。
先日、徒歩通勤の途中寄った。

中村彜には「エロシェンコの肖像」という有名な絵がある。

大正時代に37歳という若さで結核で血を吐きながら亡くなった、
いわゆる夭逝の画家だ。
実は中村彜は僕の大好きな画家だ。
始めてこのエロシェンコの肖像を見たのは竹橋の国立近代美術館。
モダンデザインにはない、心揺さぶられる絵だった。
現在、重要文化財になっている。
さらに中村彜が好きになったのは「中村彝―運命の図像」という本を読んでからだ。
中村彝―運命の図像 (1983年)
これ以上ない淋しさと孤独に包まれた人、と思わせるキリストのような人だ。
なお、この本は新宿中村屋を中心とした大正時代の芸術家達の群像風景も見ることもできる。

中村彜のアトリエは現在開放されている。
天井が6メートルはあろうかという部屋で、
入ると普通にはない空気感に包まれている。
それは私が中村彜に思いれがあり、
彼が晩年、ここで数々の名作を残して死んでいったことを知っているからかもしれないが、
建築的にも素晴らしい。
画家のアトリエは、よく北側に大きな窓を取っている。
それは、直射日光を嫌い、安定した採光を取るためと言われる。
確かに、淡い明るい光に包まれ、天井が高いこともあって、厳粛な気持ちにもなる。

この部屋をさらに観察すると、できるだけ影を作らないように、
光が部屋全体に回るように計算されている。
水平天井に対して、斜めに持ち上げられて天井は、末広がりに光が回るように台形になっている。

この中村彜アトリエ記念館は東京都新宿区下落合3-5-7
https://goo.gl/maps/6MNzG1JuT8x

18年目の改修

2018.11.13

2001年に建てた築18年の住宅の改修を行った。
手入れをするには早いが、子供も育ち、子供部屋の用途を改修するついでにいろんなところに手を加えた。

住まいは住まい手によって大きく変わる。
完成した時よりさらに良くなっている場合もあれば、そうでないときもある。
この建物は建て主さんが大事に使い、また設えが上手で、さらに良くなった建物である。


外回りの植栽もいい感じになった。

先日伺った時の床の間の設えです。

白椿、うれしい!

どん底

2018.11.09

ちょっと前に、「どん底」に行きましょうよ、
とのことで「家づくり学校」の学生諸君と新宿での懇親会へ。

どん底は懐かしい。
「どん底」ってどういう意味?って聞いたらみんな知らない。
ロシアのゴーリキーの戯曲なんだけど・・・。
まだ左翼の運動が残っていたころ、
店内ではロシアの民族衣装ルバシカを着た人が、
カチューシャの合唱に合わせ、床を鳴らして踊ったりしていた。
酒を飲んでいるから大盛り上がり。
木造の床がどんどん響いていた。

建物はスキップフロアーで、小さな領域がたくさんあって、かなり複雑。
建築的にも面白い。
今はすっかり、昭和を感じられる場所として、
若い子たちは、面白ーい、と喜んでいる。

その後、ゴールデン街のほうにも回ったが、
ここもずいぶん変わった。
昔は少々、猥雑で怖い面もあったが、
今や外人観光客の観光スポットにもなって、
明るい、気の抜けたサイダーになった。。

 

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