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どこの川と言わない方がいいでしょう

2013.09.15

出張先の現場の近くの川です。
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東京でも川に鯉がいるのは珍しくないが、
この川の鯉はチョッと違う、どうも立派なようだ。
良く見たら、
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すごい!

純白の鯉がいる。

一緒にいた現場監督が言うには、
プラチナと言う名前の鯉なんだそうな。
誰のものというのではなく、
みんなが見れるのは素晴らしい。

HAKUTAKE Limited.

2013.09.04

焼酎を持参して、
打ち合わせに建て主さんが来られた。

その焼酎が何とも美しい。
最近、美しい瓶を見るがこれほどのものは滅多にない。
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名前を見ると「白岳リミテッド」とある。
「白岳」は聞いたことのある名前。
僕が育った町を流れる川の上流、人吉市の酒蔵。
「しろ」と言う焼酎で有名。

この焼酎がマイルドで美味しい。
絶品と言ってもいいくらい。
焼酎は芋か麦か米から作るのが一般的だが、
この焼酎の原材料はナツメヤシと書いてある。
ロシアでは革靴からウウォカを作ることもある、と読んだことがあるから、
ナツメヤシということはあるにちがいない。
それにしても美味しい。

美味しいから、アッというまに減っていく。
半分くらいになったところで、
この瓶を建て主さんと良く見たら、瓶の中にまた瓶がある。
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なんでだろう? 理由がよくわからない、不思議?

ちょっと飲み過ぎの打ち合わせだったけど、
いい建物になること間違いなし。

滝のような雲

2013.08.31

長野県、上田での打ち合わせの帰り、
車窓から向こうの山を見上げたら、
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山から雲が滝のように流れ落ちている。
車から降りて写真をパチリ。
運転をしていた地元の人によると、
たまにはこのようなことがあるらしいが、
これだけ大規模のものは滅多にないとのこと。

山の名前は太郎山で、その向こうがスキーで有名な菅平。
六文銭、真田幸村はこの山のちょっと奥とのこと。
流れ落ちる雲が、幸村の怒涛の攻めのように思えた。

板金屋に乾杯

2013.08.20

都内に建てている住宅です。
屋根だけが姿を現した。
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1階と2階の屋根がつながっている建物を大屋根の家と言います。
東北の民家に原型があるが、
昔の建築家もよくやっていたが最近は見かけない。

この屋根は大工も大変だったが板金屋も大変だった。
屋根がグルグルとつながっているように葺いてあります。
屋根が折れると勾配が変わるから、
板金の幅も変わる。
と言っても素人にはわかりにいくと思うけど、
まっ、七面倒な仕事です。
今年の夏は特に暑かったけど、
屋根の上は尋常じゃなかったに違いない。

通りすがりの人はみんな見上げていくけど、
これは板金屋のおかげなんです。

August 16, 2013

2013.08.16

長い間使っていたデジカメ、リコーGXが調子悪くなった。
このブログの写真もほとんどがこのカメラで撮ったもの。

リコーGXは広角レンズが付いていて建築家がよく持っているカメラ。
茶室などは広角レンズじゃないと撮るのはほとんど不可能。

新しいカメラを探しにカメラ屋に行ったらいまでは広角のデジカメがいろんなメーカーから出ていて、
新しく買ったのがCANON s110。

結構良く撮れる。
早速何かとってみたいと思い撮ったのがこれ。
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ブログを見ている方から「泉さん、どんなカメラで撮ってるの?」とよく聞かれるが、
これからはCANON S110です。

今出ている雑誌

2013.08.07

現在発売中の「新建築」8月号に、
Apartment惣(そう)が出ています。
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本屋さんで立ち読みでも、どうぞ。

これが大学の門

2013.08.02

ム、ム、ム、こりゃなんじゃい?
広尾の高級住宅地を歩いていたら、
立派な門に遭遇。
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この立派な門は何?
と思ってみたら聖心女子大学の門。
さすがー、皇后陛下ご出身の大学。

でも、以前見た門も皇后陛下ご出身の学校だったよなー、
と思いきや、以前見たのは聖心女学院で、
今回見たのは聖心女子大学の門。
聖心女学院と聖心女子大学がこんがらがっていたようだ。
聖心女学院の門についてもこのブログに書いたことがあるが、
聖心女子大学の門も立派。

かつて久邇宮(くにのみや)家の敷地後だったとかで、
何と宮家の通用門だったらしい。

栄える、迎える

2013.07.20

名古屋で作っている住宅に植える木を探しに三重県、菰野町の植木畑へ。
暑~い、カンカン照りの日差しの元、畑を行ったり来たりしながら木を探していたらグッタリ。
畑の持ち主の農家で、ソフトドリンクを3~4本も頂いてしまった。
その家の玄関先にあった石の彫刻です。
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カエルが3匹彫ってあって、「サカエル」とのこと。

玄関の反対側にはもう一つ、
こちらはもっとたくさん彫ってある。
親カエルの上に子カエルが乗っていたりして、計6匹。
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ははーん、これはそうじゃないかと思ったが、
やはり「ムカエル」なんだそうな。

ご主人の「サカエル」「ムカエル」の解説の後、
さらに、この石は鞍馬石だよ、と自慢顔。
鞍馬石と言うのは、赤褐色に錆びた石で、茶室のにじり口の前の靴脱ぎ石などに使われる、現在ではとっても高価な石。

面白そうな話ではあったが、
暑さの中、それ以上はどうでもいいようなことに思え、思考停止。

鈴虫かリヒテルか

2013.07.03

先日リンゴを食べたいな、と思って果物屋に寄ったら、
レジのところで、素晴らしい虫の音色がしていた。
鳴き声の方を見たら虫籠が4~5個。
鈴虫入り虫籠セットを売っていたのだ。
値段は3~400円。
こんなに素晴らしい音色が3~400円とは安い、
思わずの衝動買いをしてしまった。
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家に帰り、また余計なものを買ってきたと怒られるのでは、と思ったが、
以外にもピアノを弾く連れ合いは「リヒテルクラスの音色じゃない」とのこと。

リヒテルクラスとはリヒテルと言う、もう亡くなっていまったがソ連時代の大ピアニストがいて、
その人にも劣らない音色と言う意味。
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それにしても鈴虫は翅と翅がこすれることで音をだすらしいが、
あのように繊細で宝石のような美しい音を出すことが信じられない。

ここでリヒテルが演奏するCDの紹介です。
シューベルトのピアノソナタです。

水面をチョンチョン

2013.06.29

4月に出来上がったApartment惣(そう)の建築雑誌取材のための写真撮影があった。
カメラマンは計4回も現地に足を運んでくれての撮影。
撮影に当たってはカメラマン任せにするわけにはいかず、
いろいろとサポートしてあげなければならないから撮影に立ち会うことになる。
手伝いだけだと手持無沙汰になるから、僕も横でカメラを持ちパチリ、パチリ。

Apartment惣の中庭の芝生は3ヶ月経ちフワフワ、緑の絨毯のようになった。
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さらに池の撮影。
池の水面を足のつま先でチョンチョンとやると波が起き写真も面白くなる。
これはカメラマンに教わったこと。
カメラマンはいい波を出すように結構気を使っていた。
撮影現場って結構面白い。
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ボウゼンとしてしまった数字

2013.06.17

東日本大震災による死者や行方不明者の合計が2万人近くだそうだが、
この人数がどれくらいなのか想像がつかない。
縦、横100人のマトリックスの2倍、と想像してみたがちょっとリアルでない。
2万人と言う人数を実際に見てみないとピンとこない。
東京ドームで野球を観戦したことがあるが、
4~5万人と言うから、その半分近くか。
これならリアルだ、やはり相当な人数だと実感する。

このようなことを考えていて、
さらにいろんな自然災害や戦争での犠牲者の人数を調べてみた。
近くの自然災害では、阪神淡路大震災での犠牲者が6500人。

戦争だと、
広島のアメリカによる原爆投下で、14万人。
長崎が7万人。
広島、長崎を合わせると約20万人、東日本大震災の10倍にもなる。
これは自然災害でなく人為的殺害だ。
原爆の犠牲はよく語れるが、1945年3月10日の東京大空襲は長崎より多い10万人。
一夜にしてこれだけの犠牲者が出ていたとは。

第二次世界大戦による日本の犠牲者の総数は300万人、東日本大震災の150倍。
ナチスによるユダヤ人殺害は800万人、東日本大震災の400倍。
(日本の犠牲者の300万人は兵員、市民合わせての数字で、ユダヤの犠牲はそれよりはるかに多い)
ソ連の第2次世界大戦での犠牲者は2000万、東日本大震災の1000倍。
世界全体では6000万人、東日本大震災の3000倍となる。

もうこの数字になってしまうと、想像を絶している。
東日本大震災の2万人もすごい人数だが、戦争はさらにすごい。
しかも人為的原因によるものだ。

最後に、第二次世界大戦の特攻隊員の死者は阪神淡路大震災の犠牲者に近い6000人だった。

こ・の・き・な・ん・の・き

2013.06.13

千駄ヶ谷を歩いていたら面白い植物を発見!
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海外に行くと植物を刈り込んで動物などを模したものを見るけど、、
そんな植物かなー?と思い近づいてみたら、そうでもない。
ワイアーに絡みついていて日除けに使えそうな植物だった。
取りあえず、名前を調べるために詳細な写真も撮った。
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でも植物図鑑を見てもなかなか出てこない。
で、使った奥の手のがこれ。
写真を撮って投稿すると、
見た人が植物の名前を教えてくれる「このきなんのき」と言うサイト。
早速次の日には、「写真の植物はワイアープラントですよ」と教えてくれる人がいた。

超便利なサイト、ありがたい。

富士山、モナリザ、第5交響曲

2013.06.01

近々世界遺産に指定されるらしい富士山、
西の方に行く時はいつも気になるが、
先日は晴れていて、
ほぼ近くの上空を飛行気が通ったので、
上から見下ろすことができた。
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新幹線から見る富士山は広重や北斎の絵のように平面的だが、
上空から見ると、やはりそうなのか地球から円錐台に盛り上がっている。
当たり前のことだが、それだけでも妙に感心してしまう。

それに、これだけ幾何学的に形が整った山はそうない稀な山だ。
見慣れてしまったものは時々違った角度で見ないと、
新鮮味がなくなってしまうな。

蝋梅の実

2013.05.23

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ホヤにも似てて、指を差し出すと噛まれそう。
この気持ち悪そうな実は何の実?
この木が植わっている家の方に聞いたら蝋梅(ろうばい)の実だそうだ。
蝋梅と言うのは梅の花に似て黄色い花を付ける。
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花からは想像できない。

小さな大屋根の家

2013.05.11

今都内のあるところで大屋根(おおやね、1階と2階の屋根がつながっている屋根)の家を作っています。
元質屋さんだった広~い敷地。
庇がバーーッと広がって、通る人がみんな振り返る。

都内でこんなに広い敷地で作れることは滅多にない。
出来上がるのが楽しみ。
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一方今年完成した小さな家。
これも2階と3階がつながった大屋根の家、と言ってもいい小さな家。
1970年代のいわゆるミニ開発の敷地の建て替えです。
敷地はわずか15坪、延べ面積21坪!
狭いだけに周辺の敷地の様子も分かるように、模型を作って検討した。
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内部です。
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どちらの家も好き、だなー。

而邸 Ⅻ 生垣―建物のネックレス

2013.05.03

連休に入り、気になっていた我が家の生垣の手入れをした。

次の写真は、5年前の建物完成と同時に植えた生垣の様子です。
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これが現在。
まばらだった生垣もビッシリと詰まり、左の枝垂れ桜もずいぶん大きくなった。
やはり植物は偉大。
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正面の生垣が錦木(ニシキギ)で、右側奥にほんのちょっと見えるのが椿、左側が荒樫(アラカシ)です。
生垣の下草はお亀蔦(オカメヅタ、ヘデラカナリエンシス)。

実は5年前、これから錦木をどう格好つけるか迷った。
と言うのは、錦木の両端では地面の高さが15センチほど違っているからだ。
錦木の高さを傾いた地面と平行に、傾斜を付けて剪定するべきか、
あるいは傾斜した地面に関係なく、水平にすべきか迷った。
作業のしやすさを考え、
結局選んだのが、段々にしながら地面との高さを一定に保つというもの。
刈り込みの度ごとに写真のように形を作り、
一昨年あたりから格好がついてきた。

ところでこの錦木は秋になると真っ赤に色づき、
春先は新緑が萌える。

マエストロ×村上春樹

2013.04.29

何を隠そう、といっても何も隠すことはないのだが、
小澤征爾ファンである。
小澤さんは、今やまぎれもなくマエストロと呼ぶことに何の違和感もない。

しかしそんな小澤さんでも日本での扱いに不遇な時期があったが、
その頃は日本での活動の場を新日本フィルに置いていた。
彼の指揮を聞くために、新日本フィルの定期会員になり年に2回は必ず聞いていた。
その他の機会でも幾度となく聴き続けてきた。

その小澤さんと村上春樹さんとの対談が昨年暮れに出た。
小澤征爾さんと、音楽について話をする
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ファンとしては即、amazonをクリック。
読後の感想はいろいろとあるが、
この本に登場する演奏は多分まとめてCDになるなと思ってたら、ヤッパリ。
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』で聴いたクラシック

早速これもクリック。
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小澤さんの演奏は楽譜の細部に至るまでを徹底的に分析し、全体を構築すると言われるがその通りだと思う。
小澤さんが先生と言って敬愛してやまないカラヤン先生もそう。
ある意味これは近代的手法ともいえる。
僕の設計のやり方も詳細に至るまであいまいなところが全くないように心掛ける。
僕のやり方は小澤さんやカラヤンと同じと言ってしまうのは恐れ多いことだが、
現代において創作活動をするとはそういう方法しかないのかもしれない。

クラシックはチョッと、と言う人にはこの本とCDはお勧め。
クラシックは心を開き、そして深く聞かないと良さは分からないが、
そこに至るきっかけになるかも。

遠山記念館

2013.04.27

埼玉県川越市郊外に遠山記念館と言うのがある。
遠山記念館は日興証券を起こした遠山元一が、
自分の田舎に作ったお母さんの住まい。
できたのは戦争直前の昭和11年だからそんなに古い建物ではないが、
当時の日本にいまだ残る伝統技術の粋を集めて作った建物。
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次の写真ははだしで歩きたいような玄関の床で、
人研ぎと言う左官の超技術の仕上げ。
ピッカピカ
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裏玄関の床。
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お母さんの寝室の一部で、可愛いい設え。
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戦前、事業を一代で築き上げた富豪には美術品を愛でたり、
また普請道楽をした人が多い。

連休だけど、
どこに行ったらいいかわからない人にお勧めです。