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カンボジアー3

2007.03.27

2000年までカンボジアへの観光客は、日本人が一番多かったが、
現在は韓国が一位だそうだ。
韓国の人は日本人とそう服装も変わらなくなってきたから、段々と見分けにくくなってきた。
ただ韓国の人とはっきり見分けられるのは、旅行会社提供のおそろいの帽子をかぶっていること。
それから我が物顔に元気を撒き散らしていること。
凄いエネルギーだ。
「アーリラン、アーリラン」とレストランで大声で合唱している。
日本人は隅っこでひっそりと遠慮しているしかない。

下の写真は、「リンガ」を撫で撫でしている韓国のおばさん。
リンガとはヒンズー寺院でよく見られるものだが、
男性のシンボル。
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それをなでている韓国のおばさん、元気のなせる業か。

今回のカンボジアはツァーに混じって行ったのだが、
夕食に連れて行かれた先が、北朝鮮経営のレストラン。
「喜び組み」の女性が給仕をしている。
この時期に、こんな店に連れて行くのもどんなものか?
現在、日本人って本当にノンポリになっている。
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カンボジア-2

2007.03.24

アンコール遺跡群で最も印象的な一つがタ・プローム。
19世紀に密林の中で発見された時の状態を残したもの。
遺跡に覆いかぶさっている木はガジュマロとパンヤノキ。
鳥が運んできた種が土を求めて下に伸びるからこういう姿になたらしい。
高温多湿でなきゃこんなにはならないだろう。
それにしても木の根っこは成長するから遺跡にはじわりと圧力がかかり、
しょっちゅう手を加えなければならないはずだ。
この状態を保つのは至難の業。
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空から降りてきた蛸のようだけど、幻想的だ。
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変な日本人を発見!
修行をしてるらしい。
両手を見たら、「お金を下さい」のスタイルのようだが、
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なかなかの知性を感じる。いかがだろう?

またまた、実は・・・

2007.03.23

一仕事終わり、出かけていました。
行き先はカンボジア。
目的は、以前このブログにも書いたことがある森本喜久雄さんに会うためと、
まだ見ぬアンコールワットを見るため。

カンボジアなのでまずはアンコールワットから。
ところで「アンコール遺跡群」の一つが「アンコールワット」で、
その他、アンコール・トム、
三島由紀夫の小説で有名なバイヨン、
トマノン、タ・プローム等等、
アンコール・ワットみたいな石の遺跡がたくさんある。
毎日毎日、石の遺跡を見ているともう石はいいよというぐらいある。
何であんなものを作り続けるのだろうと、不思議になる。
でもそんなことって世界中そうなわけで、エジプトやインカのピラミッドだってそうだし、
ひょっとして外人から見たら日本のお寺もそう思われるかもしれない。
それが文明と言うものか。
(例のごとく写真をクリックすると拡大して見れます)
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それにしても石造の遺跡は急階段が多い。
インカの遺跡でもそうだったが、上がりはまだしも、
降りは本当に怖い。
神様のいるところにはそうそう近寄れないため?
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降りてくる人を心配そうに眺める人々。
そう言えば、バンコックの「暁の寺」も凄かった。
階段と言うより、絶壁のはしご。
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アンコール・ワットは有名。
確かに均整も取れ、保存状態もよく、大きいからそれはそうだけど、
そのほかにも美しい遺跡があった。
その中でも特に良かったのが、
バンテスアイ・スレイ。
石と思えないほど優美で繊細。
ここの女神デヴァターをアンドレ・マルロー(かってのフランスの文化大臣)が
盗み出そうとして有名になった。
それなりの彫刻とは思うが、たぶんマルロー好みの女性に違いない。
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次回もアンコール遺跡群が続きですが、石の遺跡はみんな寺院。
それはそれとして皆がどんなところに住んでいたのか、
つまり住宅はどうなっていたのか気になるところ。
実は木造だったらしい。
が、残っていない。
王様だって、石の家に住んでいたわけではないから、
それがどんなものであったか、いろんな人に聞いたが分からずじまいだった。

で、結果は・・・

2007.02.26

16位でした。
「荒とよ」には完成後もたまに寄ってますが、
滝野川、西ヶ原ってなかなか面白い町です。
滝野川、西ヶ原散策の後、
是非「荒とよ」にも寄って、一杯引っ掛けてみてください。
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「荒とよ」お店の玄関
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「荒とよ」お店の中
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「荒とよ」住まいの玄関

出没!アド街ック天国で・・・・

2007.02.20

僕の設計の「荒とよ」が出ます。
「荒とよ」は北区滝野川にある酒屋兼飲み屋です。
2月24日(土)夜9時より、テレビ東京(12CH)です。

どういうわけかこの番組には僕の作品が何回か出ていて、
Apartment鶉(じゅん)、目白のレストラン「GINGKO」、草津の「鶴太郎美術館」がでています。
取り上げるスポットのランキングをつけていて、今回は何位か?
別に建築作品としてランキングを付けるわけではないのだろうが、
妙に気になるところ。

番組の案内は、
http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/

「荒とよ」のH.Pは、
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/jizakear/

でも「テレビ東京」って、関東圏だけなのかな~。

太陽の塔

2007.02.11

どういうわけか最近関西の仕事が増えています。
不思議なもので、特定の地域での仕事が増えることがあります。
一時は長野だったり、世田谷だったり、千葉方面だったりと。

それで神戸に向かう高速道路を走っていたら、
突然、横に「太陽の塔」の上の方の顔。
なかなかの存在感。
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僕も大学生のとき大阪万博を見に行ったが、
懐かしい。
真夏の暑い日だったが、皆汗ダクダクで会場を走り回っていた。
日本の高度成長期を象徴した一大イベントだった。
そんな大阪万博のシンボルだっただけに、
今見ると、造形の卓越さだけでなく、ある思いを込めて見ることになる。
そういうものだから、この塔はたぶん何かの災難にでも会わない限り、
ずっと未来に生き続けることになるのだろう。
残るものとはそんなものかも知れない。
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バラガンという・・・

2007.02.01

建築家をご存知でしょうか?
建築をやっている人は多分知っているはず。
そうでなかったらモグリ、です。
そのくらい有名な建築家です。
彼はメキシコの建築家で、日本で有名になったのは最近ですが、
死んだのは随分前。
3~4年ほど前、彼の建物を見るためメキシコに行ったことがあります。
とっても良かった。
彼の作品集は5~6冊持っているけど今日紹介するのは、
そのなかでも、最高の本です。
本の名は、
Luis Barragan  The Eye Embodied
です。
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以前にもローマ書院という洋書の行商みたいな人を紹介したことがありますが、
その人が持ってきてくれた本です。Tel 03 3304 6404 です。

バラガンの本もいいけど、
この本を売りにくる、
ローマ書院のオジサンもなかなか面白い人です。

いい本にめぐり合えるのって、人生の至福です。
建築の素人の人でも目が肥えてる人が見ると、
この本はきっといいと思っていただけると思います。

今出ている雑誌

2007.01.28

新建築社発行、「住宅特集2月号」に「庸(よう)」が載っています。
この庸と言う建物の名前は建主しさんが付けたもの。
小さな住宅ですが、伸び伸びとした広がりがあります。
是非見てみてください。

あけまして・・・

2007.01.02

おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

元旦、BSでオシムのインタビューをやってたが、
やっぱりオシムって、なかなか。

聞きながら、何でこの人の話はいつも聞き入ってしまうのだろうと思い、
考えてみたら、
要するに視点が広い、多視点ということ、
そしてその多視点が論理的に構成されている、というこじゃないのかな~。

ひとつのことについて言う時に、彼は感情や印象でなく、
間違いなく瞬時に、分析を通して言っている。

例えば一人の選手について言う時、
その選手の能力だけでなく、チーム全体から見た彼の能力、メンタルのあり方、
彼の短期的、長期的使い方、
といった日本代表を構成、構築する視点から、
それだけでなく、この番組を見ているその選手自身に、
その選手を通して他の選手へ、
そしてサッカーファンへさまざまなメッセージ、が多視点的に込められている。

トルシエは長期的展望は持っていたと思うけど、感情的過ぎた。
ジーコは時間的視点がなく、
また自分のイメージにこだわり過ぎ、現実を見て分析することに欠けていた。

これだけの知力を持っているオシムは政治家や建築家にもなれるかも。
もっとも彼に政治的野望が、
建築家だったらデザイン能力が、あればだろうけど。
でもそれになれる要素の一つの知力を持っていることは確かだ。

でもこんなことを書いていて、ワールドカップの予選通過ができなければ、
後になって笑われるかもしれないけど、
それでもオシムっていいな~。

ではオシム語録をどうぞ。
http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/sports/osim/index.htm

正月早々サッカーの話題で失礼しました。

今年も・・・

2006.12.31

もうお終い。
一年がたつのは早い、
でも、最近はこの時間の流れの速さに慣れてしまったようで、
「そっか、今年も一年経ったか」、程度であまり感慨もない。

でも今年は、出来事で言うとなかなか大変でした。
実は論文を書いていました。
簡単に言うと、自分が今までやってきた建築のまとめ、
と言えるかもしれないが、
これからやらなければ、と思う沢山の課題が見つかった。
論文を書くこととともに、これからの課題を見つけ出せたことが、
今年最大の収穫、かな。

下の写真は今年ドイツに言ったときに飛行機から撮った写真。
Hikoukikara

森本喜久男さんって・・・・

2006.12.22

知ってますか?
僕も今朝まで知らなかったのだが、すごい人がいるもんです。
ここしばらく又忙しくなって、事務所を出たのが朝の4時過ぎ。
車を運転をしているときは昼間だったら、放送大学を聞きながらだけど、
深夜はやってないので、NHKのラジオを聴いている。
深夜のNHKもなかなかいい番組が多い。
そんなわけで、深夜(というか早朝)NHKのラジオを聴きながらの帰宅途中、
素晴らしいインタビュー番組を聴いてしまった。

カンボジアで伝統的な織物の復元をし、
又復元した織物によって、カンボジアの人が生計を立てる織物の村づくりをやっている日本人の話だ。
その人の名が森本喜久男さんという人で歳は僕と同じぐらい。
かって京都で友禅染をやっていたらしいが、現在カンボジアでクメール伝統織物研究所を主催している。
その人の素晴らしいのは、伝統織物の復元をし、工房をカンボジアに作ったということだけでなく、
村作りもやっていることだ。
カンボジアは戦争でがたがたになってしまった国だ。
もちろん伝統的な織物の文化なども、崩壊してしまった。
文化というものはその地域の総体としてあるもので、
それをひっくるめて、つまり村づくりまでやってしまっている。
もちろん染色織物を通しての村づくりだが、美しい織物を作るため、
その原材料となる植物の森作り、
いい植物を育てるにその土作り、
働くカンボジア女性のための学校づくり、
女性は赤ん坊を連れて働きに来れるようにする事、
村で使うエネルギーを風車発電で・・・・

働くこと、環境を守ること、生活すること、生きること、
そんなことを全部ひっくるめての村づくり。
そんな活動で最近ロレックス賞を受賞されたらしい。
久しぶりに本物の人間を見た、ではなく聞いたような気がする。

クメール伝統織物研究所のアドレスは、
http://iktt.esprit-libre.org/

彼のホームページを見たら、僕の作品が載っている
現在発売中のチルチンびと40号にも載っている(P-190)ことを見つけた。
カンボジアへ行って是非行ってみたくなった。

今年の秋は・・・

2006.12.14

紅葉がきれいでした。

週一度、日大と首都大学東京(昔の都立大)にそれぞれ教えに行っているのですが、
大学のキャンパスは緑が多い。
特に首都大学東京は周囲が多摩の山の森に囲まれています。
下の写真のような小道があり、落ち葉を踏みしめながら歩く楽しみがあります。
この道の紅葉はすっかり終わっていますが・・・。
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又、大学にいたる道路には「南京ハゼ」の並木があり、白い実をつけていました。
可愛い形をした実を取ってみたいといつも思うのですが、
「ハゼ負け」が怖く、未だに眺めるだけです。
拡大すると実の形が分かります。
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日大のこの紅葉も美しかった。風洞実験棟の前にあるのですが、
そんな硬いイメージの建物の雰囲気を変えてくれています。
緑色から、赤に変わるグラデーションが何とも言えない。
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今出ている雑誌

2006.12.02

「チルチンびと」40号、(2007年1月号、風土社)の都内で最近できた住宅が載っています。
障子の光が取ってもきれいな住宅です。
同じ障子と言っても、晴れ晴れとした明るい光、ボワーッと薄暗い和室の光といろいろと使い分けています。
是非、見てください。

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ご無沙汰のエコバウツアーⅢ

2006.11.26

ここのところ不眠不休(に近い)日々が続いています。
この歳になっても我ながらよくやるな~、と自画自賛。
ドイツエコバウツアーの続きを書かなくてはと思っているのですが、
書く暇がない。
もうチョッと、12月になったらチャンと書きます。

とりあえずお茶を濁すみたいなものですが、これはフランクフルトのスタバにあったトイレの案内。
カワイイ ! ! !
拡大してよく見て下さい。なかなか良くできているデザインです。
男の子と女の子の頭の形もなかか、
男と女の子の間の一本の線も、トイレの仕切りを暗示していてなかなか、です。
囲っている円の途中が切れているのもなかなか。切れてなかったら入り口がなくなる。
これをデザインした人はニコニコしながら、描いたんだろうな。
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ドイツ・エコバウツァーⅡ

2006.10.21

本当はドイツのエコロジー建築について書きたいのだが、まだなかなか書きだせない。
確かにドイツは環境に対して真摯な態度を取っている国だ。
でも,スゴイ、スゴイといきなり賛美してしまうのもどうか?
今回見たエコ建築はまさしくドイツの風土、歴史、国民性に根ざしているものだった。
要するにドイツっぽいよねー、の思わず口に出そうなもの。
果たして日本型、或いはアジア型のそれってどんなものなのだろう?

とりあえずは助走、と行こう。

ドイツの建築家はどちらかというと上手くない。硬い。
人をワクワクさせる建築はやはりラテン系だ。
しかしこれはちょっと違った。
下の写真は、エコバウ(エコ建築)の大家ヨアヒム・エブレによる幼稚園の一コマ。
僕らを日本人と知って、自分の服についた日の丸を指している。

とにかくここの子供たちは元気で生き生きとしていた。
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この幼稚園の庭にあった建物のような遊具。
幼稚園によく見かけられる既製品の滑り台やジャングルジムは一切ない。
その代わりに敷地全体に変化のあるランドスケープを作っている。
上ったり、駆け下りたり、寝転んだり・・・・。
この家?もブリッジを渡ったり、梯子やスロープで入ったり、あるいは潜り込んだりして入るようになっている。
しかも内部は一見するよりも複雑で変化に富み、子供用にスケールが小さく作られ、身体性を持った空間構成はワクワクするものだった。
遊具?ではあるが、まさしく建築の空間構成の醍醐味を持っていた。
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ヨアヒム・エブレはエコ・バウの大家だと知られているが、省エネとか断熱性能がどうだこうだと言う前に、まずは建築家なんだと思う。
深い感情、感動、愛があって、そこから彼の環境思想が生まれたのだろう。安心した。

実はドイツへ・・・・

2006.10.18

行ってました。
ドイツのエコロジー建築を見る旅で、何とドイツ、オーストラリア、リヒテンシュタイン、スイス、フランスの5カ国を回ってきました。
ドイツで5泊、その他のオーストリアはバスの中でのみ、リヒテンシュタインは5時間ぐらい、スイス、フランスは一泊という強行軍です。
大変疲れました。6月に行ったワールドカップの弾丸ツアーより疲れたました。
ドイツのエコ建築はたいしたもの。しかしその話は疲れがとれてからに。

とりあえずは、ドイツの初秋の植物の写真から。
以前から本当かなーと思っていた蔦の青い紅葉の写真です。青になるのは写真のせいで実際にもあるのかなー、と思っていたのですが、本当にあるんですね。
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日本も負けていません。
次の写真は先日このホームページの作品欄に乗せた「庸(よう)」の道路との境に植えたニシキギの写真です。
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この二つを比べてもバター臭いのと、和っぽい違いがありますがどこからくるのでしょう?

ムル逝く

2006.09.24

覚悟はしていたのだが、うちの猫、ムル君が逝ってしまった。
17年前友人からもらった猫で、そのころ獣医さんが2才ぐらいと言ってたから、享年19歳。
人間の年にすると諸説、計算方法はあるらしいが、92歳か102歳になる。
大病を患い、何度か手術を受けたりしたわりには、よく長生きした。

そもそもが友人の家に迷い込んで来た猫。
猫にどこで生まれたの?と聞いても答えてくれるはずもない。
だから出生は分からないが、17年間も一緒に過ごすことになった。
分かるのはチンチラの雑種のようだ、ということだけだった。
以前名前があったかもしれないが、「雄猫ムルの人生観」という小説からムルと言う名前をつけた。

縁でたまたま一緒に過ごすことになったが、思い出が一杯詰まった猫だ。
雀を捕まえ、誇らしげに見せに来たこと。
夜になるとかってに僕の横に寝て、自分の寝床と決めこんでいたこと。
家猫で、二階のバルコニーから外に飛び出し2~3日行方不明、探し回ったがなかなか見つからなかったこと。
そして、仕事に疲れ家に帰って仰向けに寝ていると、お腹の上に乗り、僕をじっと見つめていた。
チンチラの人懐こさと共に威厳を持った優雅さがあり、また雑種のたくましさも兼ね備えた猫だった。

今年の春あたりから急に弱りだし、タヌキかと思えるぐらいに大きい体が骨と皮だけになってしまった。
逝く三日前まではよろよろと、どうにかトイレに行っていたが、次の日は一日中昏睡状態。そしてあくる日の朝は冷たくなっていた。

布で暖かくくるみ近くの火葬場に連れて行った。
火葬をして骨だけになっても、ムルの面影が残っていた。
「あの世の入り口で待っていてくれるよ」と言われたとき、涙が止めどもなく流れた。
20041101

金閣寺を・・

2006.09.17

何十年か振りに見ました。
確かに何度か行ったことがあるのですが、何時、何で行ったかほとんど記憶がありません。有名建築とはこんなものでしょう。
先日京都での講演の後、縁があって金閣の中も見せてもらえるのでは?ということでした。
以前TVで2階か3階の床を真っ黒い漆で塗り、鏡のようにまっ平に仕上げられているのを見たことがあります。壁、天井は金箔を貼ってあるので、光が拡散して影が生まれなく、そこに立った人は浮遊した感じになるらしい。そんな部屋を茶室で経験したことがありますが、是非今度は金閣寺で体験したいものだと思っていました。
しかし残念ながら2,3階は現在補修中で入れなく、1階だけ。

池の向こうから見る金閣寺は、何か作り物のようで建築的に見えないが、ところが近くで見ると実に建築的。特に下の写真のように、部屋から池に向かって、段階的に順次せり出す庇や縁側の寸法感覚は見事です。
部屋から池のある庭を見ると手摺や鴨居の位置が自然な視線の流れを作っています。
足利 義満はこの建物を迎賓館のように使っていたらしいのですが、この縁側に立って、明からの賓客をもてなしたりしていたんでしょうね。
建築はやはり空間を体験しないとわからないもの。だからいつかは2,3階も・・・。
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