ブログ
blog

ムル逝く

2006.09.24

覚悟はしていたのだが、うちの猫、ムル君が逝ってしまった。
17年前友人からもらった猫で、そのころ獣医さんが2才ぐらいと言ってたから、享年19歳。
人間の年にすると諸説、計算方法はあるらしいが、92歳か102歳になる。
大病を患い、何度か手術を受けたりしたわりには、よく長生きした。

そもそもが友人の家に迷い込んで来た猫。
猫にどこで生まれたの?と聞いても答えてくれるはずもない。
だから出生は分からないが、17年間も一緒に過ごすことになった。
分かるのはチンチラの雑種のようだ、ということだけだった。
以前名前があったかもしれないが、「雄猫ムルの人生観」という小説からムルと言う名前をつけた。

縁でたまたま一緒に過ごすことになったが、思い出が一杯詰まった猫だ。
雀を捕まえ、誇らしげに見せに来たこと。
夜になるとかってに僕の横に寝て、自分の寝床と決めこんでいたこと。
家猫で、二階のバルコニーから外に飛び出し2~3日行方不明、探し回ったがなかなか見つからなかったこと。
そして、仕事に疲れ家に帰って仰向けに寝ていると、お腹の上に乗り、僕をじっと見つめていた。
チンチラの人懐こさと共に威厳を持った優雅さがあり、また雑種のたくましさも兼ね備えた猫だった。

今年の春あたりから急に弱りだし、タヌキかと思えるぐらいに大きい体が骨と皮だけになってしまった。
逝く三日前まではよろよろと、どうにかトイレに行っていたが、次の日は一日中昏睡状態。そしてあくる日の朝は冷たくなっていた。

布で暖かくくるみ近くの火葬場に連れて行った。
火葬をして骨だけになっても、ムルの面影が残っていた。
「あの世の入り口で待っていてくれるよ」と言われたとき、涙が止めどもなく流れた。
20041101

金閣寺を・・

2006.09.17

何十年か振りに見ました。
確かに何度か行ったことがあるのですが、何時、何で行ったかほとんど記憶がありません。有名建築とはこんなものでしょう。
先日京都での講演の後、縁があって金閣の中も見せてもらえるのでは?ということでした。
以前TVで2階か3階の床を真っ黒い漆で塗り、鏡のようにまっ平に仕上げられているのを見たことがあります。壁、天井は金箔を貼ってあるので、光が拡散して影が生まれなく、そこに立った人は浮遊した感じになるらしい。そんな部屋を茶室で経験したことがありますが、是非今度は金閣寺で体験したいものだと思っていました。
しかし残念ながら2,3階は現在補修中で入れなく、1階だけ。

池の向こうから見る金閣寺は、何か作り物のようで建築的に見えないが、ところが近くで見ると実に建築的。特に下の写真のように、部屋から池に向かって、段階的に順次せり出す庇や縁側の寸法感覚は見事です。
部屋から池のある庭を見ると手摺や鴨居の位置が自然な視線の流れを作っています。
足利 義満はこの建物を迎賓館のように使っていたらしいのですが、この縁側に立って、明からの賓客をもてなしたりしていたんでしょうね。
建築はやはり空間を体験しないとわからないもの。だからいつかは2,3階も・・・。
Photo_15

昨日は・・・

2006.09.07

イエーメンに勝って良かった。またまたサッカー話題で恐縮です。
オシムってなかなかですね。
昨日勝ったからではなく、かなりのインテリジェンスがあること。

4~5日前(8月29日)の朝日の夕刊に「丸山眞男の現実主義」という記事があったが、
「丸山は、思想が存在するのは、外部からの刺激を受けた後、それへの反応がなされるまでの間」、
「直ぐに反応すれば思想は欠落してしまうので刺激と反応との同時性を切断する」、
といったことが書いてあった。

サッカーの監督ほど、というか建築家もそうだが、目の前の現実から離れられない職業だ。
にもかかわらず現実にかき回されるようじゃダメで、遠くから見る視点も必要だ。
だからオシムの言葉は面白い。

毎回毎回試合の後での詳しいオシムの発言は、
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/index.html
に出ているけど、
建築家という立場から、彼が現実に肉薄しどのように思考しているのか、読み解くのが面白い。

オシムについていろんな見方があると思いますが、どう思います?

「どんな敷地で・・・・

2006.08.27

建てたいですか?」とよく聴かれる。
でもこの質問には一瞬、困ってしまう。
結局、「どこでも」と答えてしまうのだが、でもそうとしか答えようがないのだ。
今までに美しい森の中や、いい住宅地で建てたことはある。
一方ゴチャゴチャした下町や、日当たりの悪い北側斜面にも建てた事がある。
いやむしろそんな敷地の方が多いかもしれない。
第一、人が住むところで日本にはそんなにいいところはない。
建築家という職業がそもそも敷地を自分自身で選べなく、それは良い悪いを超えて先験的に与えられるものだから、与えられたものなら「どこでも」と思うようになったのかもしれない。
またどんな敷地でも活かしようはあるもので、それが建築家の能力でもあるからだ。
まっ、そんなふうにいつも思っているのだが、先日新潟近くの新発田市にある建物を見に行ったが、そこの2階から見る日暮れ時の風景は絶品だった。
特別に何があるわけではなく、見えるのは田んぼと山、それに少々の木々だけ。
そういえば以前はこんな風景が日本中にあったなー、と思い返した。
なんでもない景色だが素晴らしい。
茫洋として重なる山の端に、それをところどころ切る木立。
視界一面に広がる夕暮に吸い込まれそうになる。

やはりこんな景色を毎日見れるのはいい。
ひょっとしたら「どこでも」というのは自虐的?になっているのかも。

下の写真はその窓からの風景です。
Photo_14

小井田さんという・・・

2006.08.14

建築家がいました。今春、ガンで亡くなられ、先日彼の自宅で偲ぶ会が行われました。
小井田さんはまだ若く、建築家として60歳半ばの、あまりにも早い他界でした。
建築学科ではなく油絵学科の卒業でしたが、とってもいい住宅を作り続けた人です。
美意識の高さ、高いレベルの本質を持っていたのは育った美術系の影響にもよるのかもしれません。
当たり前のように、気持のいい自然な住宅を作っていました。
最近建築雑誌をにぎわしている建物には奇をてらったものが多い中、そんなものは微塵もありませんでした。

小井田さんには僕が建築家として駆け出しのころ、
建築家としての生き方をいろいろとアドバイスしてくれた方で、彼の死は本当に残念です。
小井田さんは肺がんであったにもかかわらず、死の直前まで酒を飲み、タバコを吸い、そして仕事をし続け、
「葬式はするな」「棺桶は緑色に塗れ」というのが遺言だったそうです。
小井田さんらしいダンディズムだったような気がします。

下の写真は彼の作品です。
ここのご主人も肺ガンで、同じ病院で同じ日になくなったそうです。
死ぬまでいろんなエピソードを作り続けたのも小井田さんならでは、でした。
Photo_10

京都、西本願寺・・・

2006.08.12

にある飛雲閣は有名なので見たことのある方も大勢いらっしゃるだろう。秀吉の聚楽第の一部をここに移したのが飛雲閣だが、真偽は定かではないらしい。3階建てで日本では珍しい楼閣建築。かなり以前に外から見たことがあるが、用途も様式も混在し複雑な構成にもかかわらず、見事なプロポーションにまとめ上げられている。こんな建物は日本には少ない。だから建物の内部がどうなっているのか、ずっと興味があった。
長年の思いがかない内部を見ることができた。見る前からワクワク、外観があーだから内部はもっとすごい構成になっているのでは、と思っていたが、実際は思いのほかあっさりしたものだった。恐らく移築したときに簡略化してしまったのでは、絶対にそうに違いないと勝手に想像した。
しかし、最上階で外を眺めながらたたずんでいると、装飾された窓から涼しい風が流れ込んできた。天下人秀吉はここでどんな気持で外を見ていたのかと思うと不思議な気持になる。
西本願寺で素晴らしいのは白書院だった。ハデハデではあるが一点一点の装飾のレベルが高く、全体としての統一感もあり深みのある建物だった。是非、御一見を。
Hiunnkau1
Hiunnkaku2_
Siroshoinn_

またまた雑誌・・・

2006.08.02

「新建築」8月号に「Apartmentなかなか」が出てます。
肝心な階段室を見上げた写真が載ってなかったのは残念。
このブログの5月7日の写真も一緒に見てください。
photo_9

今出ている本、雑誌・・・

2006.07.25

どちらかというと専門化向けかもしれませんが、

1.「庭からの視線」 著者、伊藤公文 出版、AXIS
デザイン誌AXISに4年間に渡って連載された人気シリーズの単行本化で、Apartment鶉(じゅん)が紹介されています。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4900450774/250-0022856-6419461?v=glance&n=465392

2.季刊「すまいろん」2006年夏号 住宅総合研究財団発行に「設計・生産の近代的手法から身体感覚へ回帰する」と言う僕の小論が載っています。
http://www.jusoken.or.jp/index.htm

1は伊藤公文さんの鋭く深い内容の本です。2は建築の専門家でも知っている人は少ないかもしれませんが、毎号内容の濃い本です。よかったら見てみてください。

コラムばっかりで・・・

2006.07.21

他のページを更新しませんでしたが、「作品」ページに新作を載せました。
建物の名は「庸(よう)」です。この名前は建主しさんがつけました。

最近は建主しさんが名前をつけることがあります。
それもなかなか洒落た名前で、今回の「庸」や、以前の「しだりお」など、結構上手いと思いませんか。
「しだりお」は、足引きの 山鳥の尾の しだりおの ながながし夜を ひとりかもねん (柿本人丸)  から取ったもので、建物の形がしだりおを思わせる、とのこと。
建主しさんが「建築家は建物を作ると名前をつけますよね。私はこの家はしだりお、というのがいいと思うんですが、どうでしょう?」と遠慮がちにおっしゃる。
建主しさんも建物への思いが一杯なんでしょう。うれしいことです。しかもいい名前だとさらにうれしいものです。

たまっている「作品」のページをこれから更新します。時々見てください。

先週の土日は・・・

2006.07.03

和歌山の材木屋、山長商店へ行ってきた。
山長は有名な材木屋で広大な山林、山手線の内側ぐらいの広さの山林を持ち、材木の生産、製材から販売までを一貫してやっている。
現在日本の山林の多くは荒れているが、山長の山は珍しく手入れが行き届いている。
山長は江戸時代からの家系で、現在の息子で11代目。どういうわけか哲学科出身でドイツ哲学を修めたとのこと。専門はカント。
カントに材木、面白いが何の関係もなさそうな組み合わせで、カントを材木に生かして欲しいなんて、変な期待はしないが、どんな職業にしろ知性は必要。将来が楽しみだ。

で、何故わざわざ和歌山の材木屋まで行ったかと言えば、現在工事が始まったばかりの川口市のY邸の材木を検分する為だ。
杉の梁が何本も天井に飛んでいて、この杉の梁が重要な見せ場だ。
最初の写真はその梁の一部で、樹齢80年ぐらいの、節がほとんどないスパッとしたもの。
次の写真は木の裏側を見るためにフォークリフトで上げてもらったところ。
今年の暮れには完成します。
Photo_11
Photo_12

いやいや・・・

2006.06.25

ブラジル戦を始め日本は惨敗。無残、惨め、屈辱、情けない、みっともない、恥ずかしい、哀れ・・・・、そんな言葉ばっかりでてきそうな戦いだった。でもこれ、現在の日本の実力。仕方がない。
スタジアムで観戦してても体力、精神力どちらも劣っていた。
これはずっと前から言われていることだけど・・・。
でもあきらめることはない。中田や中村の涙に未来の日本サッカーがあるような気がする。がんばれ、日本!

ところで、講演会のお知らせです。
神楽坂建築塾の公開講座で、テーマは「地中海から中近東へ、日本列島からアジアへ」
阿久井喜孝さん、平敬一さん、鈴木喜一さん、それに僕です。
大物の旅人ばかりの中で、どんな話しができるやら・・・。
日時は7月9日(日)13~15
詳しくは下記を見てください。

http://www.ayumi-g.com/kenchikujuku/juku2006/0709koukai/index.html

敗戦の記ー2

2006.06.17

真っ青な空の一筋の飛行機雲は美しい。夕日を浴びたそれなど、遠くの世界への夢さえかき立たせてくれる。
しかしヨーロッパのそれはチョッと違っている。飛行機雲が多すぎるのだ。
それはヨーロッパの都市間は新幹線(高速鉄道)で移動するには遠過ぎるし、またEUの出現で移動が増えたからだろう。
特に今回のワールドカップのように世界中から人が集まってくるとなると、それはすごい状態になってしまう。空がモウモウなのだ。
ドイツは国中が国立公園と思わせるぐらい、森と水それに都市がうまくかみ合って美しい。しかし空だけに関して言うとチョッと心配だ。
_3_1
で、いよいよワールドカップ。日本対オーストラリア戦はとにかく暑かった。
後半日本選手はバテて、動きが悪く足が止まってしまった。
ヨーロッパの夏は日暮れが遅く、夜の9時でもまだ明るい。涼しくなるのもその頃からだ。
日本の試合のスタートは午後3時だったから暑い真っ最中だった。庇のかかったスタンドで32~3度あったからピッチはもっとあったに違いない。
しかも日本とは違った、乾燥した暑さだ。
オーストラリアにとっても条件は同じだが、あの暑さはオーストラリア向きだ。午前中に雨が降るとか、夜のスタートとか、あるいは海に近いハンブルグであれば結果はもうチョッと違っていたに違いない。
羽田に着き、弾丸ツァーではあったが日本のムッとした湿気の多い暑さが懐かしくもあり、また悔しさが甦った。
次の写真は観戦風景。どこかにいます。

photo_5
次の写真は日本が最初に1点を入れたとき。ここまではよかったのだが。
photo_7

敗戦の記

2006.06.14

いやー、負けてしまった。
試合が終わった後はみんなグッタリ、バスの中も飛行機の中も葬式みたいだった。
でも後4%の可能性があるとか。
あきらめずに応援しよう!

敗戦ではあったが面白いこともいろいろとあった。今回の応援紀行を書きます。
飛行機は例のサムライブルー号。何時も海外と言えば建築目当てだが、今回はサッカー弾丸ツァー、それにサムライブルー号ということもあって最初から違った雰囲気になる。(写真をクリックするとそれぞれ拡大します。)
_1
フランクフルトに着いて、預けた荷物が出てくるのをを待っていたら、ベルトの上に何時までたっても回っている荷物が一つ。どうもワールドカップの優勝杯の形をしてるようだ。近づいてよく見たら、差出人adidas、受取人ベッカム様。ベルトが一回転した印の代わりに置いてあった物だ。何とユーモアにあふれたシャレた広告。
_2

建築家のサガとして、ヤッパリ建築も見ることになった。学生のときから見たいと思っていた、ケルンの大聖堂。西側のファサードは有名で、期待してたのだが、あまり感激しなかった。確かにデカく端正な形をしているが、人を喜ばせる何かがない。やはり建築はイタリア、フランスが上手い。
_4

それにしてもケルンの大聖堂には落書きが多かったこと。日本では考えられない。石だから少々のことでは消せる自信でもあるのか。
_5

ケルンで面白いと思ったのは、ここはイタリアのフレスコ画と思うがごとき、駅の天井一杯の絵。中村に、ジダン、もちろんロナウジーニョ・・・が空を飛びながらサッカーをやっていてる。
_6
_7
この後は次回のお楽しみ。

ただ今より・・・・・

2006.06.09

日本の応援、弾丸ツァーに行ってきます。
大学に行ったら学生に「先生、僕は行けないからこの青いシャツをドイツに持っていってください。僕の気持はこのシャツに込めてあります」なんてことがありして、
彼の依頼のシャツも持って、行ってきます。
応援に行く人ばかりなので、飛行機の中から、すでに「日本!日本!」なんでしょうね。

今・・・・・

2006.05.29

山法師(ヤマボウシ)の花の季節です。
この木も僕の好きな木で沢山植えてきました。
葉は深い緑で、花はその深い緑によく合った白です。真っ白でもなく、でも白。清楚な淡い白です。
株立ちが特によく、樹形のきれいなヤマボウシをよく目にします。
一時期、アメリカハナミズキが流行りましたが、名の通り洋ものです。山法師には東洋の美があります。
秋にはその花が、赤い実になります。実は焼酎に漬けて、薬酒として飲んでる人もいるようです。
「ヤマボウシ 焼酎」で検索すると漬け方はいろいろとでてきます。
ところで「山法師」という名の由来はどこから来たでしょう?
ご存知の方いますか?
Yamabousi

ジャーン、ドイツへ・・・・

2006.05.17

行きます。これは以前書いたエコ・ツァーではなく、ワールドカップ・ドイツ大会!日本オーストラリア観戦に行きます。
KORIA・JAPANの後、今度は必ずドイツだと思っていましたが、運良く念願がかないます。でも大変な強行軍で、飛行機の行き帰りに2泊、ホテルに一泊です。しかしそれでもいい方で、飛行機の中で2泊だけ、見たら直ぐに帰ってくるというのもあるらしい。
そうしてでも行きたいのがワールドカップ。そして必需品は青のユニフォーム。近いうちに青のユニフォームをKAMO SHOPに買いに行きます。
先ず、オーストラリアに2点差で勝って、クロアチアを分けで進み、ブラジルに最小得失点差で乗り切るり、決勝リーグへ。がんばれ、日本!

Apartmentなかなかー2

2006.05.07

中野の「Apartmentなかなか」がもうチョイで完成です。
3月11日にこのブログでシリンダー部分の工事中の写真を載せましたが、ほぼ出来上がり。真っ白い階段室で、上から光が降り注ぎます。自分で言うのはなんだけど、若い時こんなアパートに住みたかったなー、と思う。家賃も周りに比べたらそんなに高くない。でもケッコウ贅沢!
昔、こんなアパートに住んでいたら「お坊ちゃま」だった。18歳で熊本から東京に出てきたとき、最初に住んだのが北区十条の日当たりの悪い4畳半の下宿屋(当然共同トイレ、共同炊事場)。その後5~6回、同じようなアパートを転々としたけど、隔世の感があります。日本の住環境はいろいろ問題があっても、ケッコウよくなっているんでしょうね。
photo_4
photo_3

檸檬

2006.05.05

昨年作った建物の写真撮影があり、久しぶりに訪ねました。
その家でもいろんな植栽を施しました。
生垣に、トキワマンサクとベニカナメ、シンボルツリーとして大きなアオハダの株立ち、
それにレモンの木です。
建主しさんが何か一本、実のなる木を望んでおられて、植木畑に行ったらレモンの木がありました。
本当に生るの?と思っていましたが、大きい実を7~8個つけていていました。
この度行く前にも、すでに沢山もぎったとのこと。
昔は、家の庭に柿や琵琶の木が結構ありましたが、最近はあまり見かけなくなってしまいました。
柿や琵琶でなくとも、生り物が家の中にあるのは楽しいですね。
photo