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Apartment樹

2017.12.28

東京のお屋敷には、南側に自宅を、北側にアパートを作り賃貸経営をするというのがありました。
そのような集合住宅の現代版が浜田山に完成しました。

賃貸をお探しの方はこちらへ。

丹波篠山

2017.12.24

例年、秋から暮近くにかけて建築のいろんな賞の審査をする機会が増える。
今年はそのうちの一つで、丹波篠山に行くことになった。
丹波篠山って聞いたことあるな~、と思っていたら、正月に食べる黒豆の産地として有名なところ。
念のため、丹波篠山は、たんばしのやま、ではなく、たんばささやま。
兵庫県にあるが、瀬戸内海と日本海とのほぼ中間にある盆地で、大阪や、神戸京都から近く、しかも城下町としての歴史があってそう田舎臭くなく、自然も豊か、ということで移住者も多いらしい。
その場所に住む若い建築家の作品を見に行ったが、まだ粗削りとは言え空間に対する捉え方にはいいものを感じた。
いろんな審査のことはまとめて後日書きたいと思っているので、今日はこのくらいにするが、この丹波篠山は城下町で武家屋敷や商家の街並みが残っている。

妻入りになっているが、下屋をかけ平入りと言ってもいい。
堂々として気品があり美しい。

屋根瓦を漆喰で固めた屋根は西に行けば行くほど多い。
改修なった姫路城もそうだし、九州や沖縄に至ってはかなりシックイで固める。
しかしこの丹波篠山は京に近いからなのだろう、漆喰で屋根瓦を固めてもどこか洗練されている。

絶対矛盾的自己同一

2017.12.19

西田幾多郎という哲学者の名前を聞いたことのある人は多いと思う。
建築関係の人なら、安藤忠雄さんが石川県に西田幾多郎記念哲学館を設計したことで知っているかもしれない。
この方は京都学派のど真ん中にいる人で、日本独自の哲学を考えるうえで欠かせない人。
でもこの人の本はえらく難しくて、チンプンカンプン。
「絶対矛盾的自己同一」なんて言葉が出てきて、何のことかさっぱり理解できない。
何度かチャレンジしたことがあったが、何時も1~2ページで挫折してしまっていた。
それに西田には「禅の研究」なんて言う本もあり、空だの、悟りだのとついつい結びつけたりして、近代的な思考に染まってしまっている我々にはどうも苦手だ。

ところが最近、生物学者で「動的平行」でお馴染みの福岡伸一さんがこの西田幾多郎にチャレンジした本が出た。
福岡さんは科学者だからもともと近代的思考の持ち主。
この福岡さんが、池田善昭さんという哲学者に西田哲学について指導を仰ぎながら、段々と理解を深めていくというものだが、池田先生が福岡さんの動的平行は西田哲学的だと言ったことから始まったらしい。
この本だったら長年挫折を繰り返した西田哲学がわかるかもしれないと手にした。
結果は、まだ完全に理解できたとは思えないが、どんなことを言おうとしているのかくらいまでは辿り着けたから、かなりの進歩だと思う。
それに、この本を読みながら思ったことは、西田哲学って結構建築に関係があるかも、ということだった。
ライプニッツという17~8世紀の哲学者がいるが、建築家にはこの哲学者のファンが結構いる。
ちなみに、ライプニッツは数学者でもあっただけに西田よりはるかにわかりやすい。
西田善昭さんはそのライプニッツの研究者でもあるようで、ライプニッツの先に、西田哲学があると言ったようなことも書いておられる。

興味のある方はご一読を。

 

28年目のリフォーム

2017.12.03

28年前に設計した建物の建主さんからリフォームをしたいのだけど、との連絡があった。
電話で聞く建主さんの声は昔のままだったが、
建物は28年も経っているのだから、結構古くなっているかも、と思った.
しかし、久しぶりに訪れる建物は昔のまんま。
変わっていたのは私も含め人間方だけだったかもしれない。
確かに木部の色は少々黒ずんでいたが、隙ができたりすることもなく、
しっかりしていた。
それは建主さんが大事に扱ってくれていたこともあったのだろう、嬉しかった。
建物は住まい手によって随分と変わるものだ。

リフォームの内容は、主に家族の構成も変わり少々プランを変えること、
水回りや内装、外装を塗り替えることなど諸々。

工事は28年前の大工の息子がやることになった。
28年前、息子はまだ高校生くらいで、現場に手伝いに来ていた。
しかし、今や40半ば、立派な大人になっている。
手伝いに来ていたから、外から見えない天井の内部などの記憶もあったようだ。
父がやった建物を息子が引き続く、素晴らしいことだ。
建主さんはこの息子のことが大変気に入り、
また建物も新築のように蘇り、大変喜んでいただいた。
設計の仕事をやっていて、こういう出来事は本当に嬉しいものだ。


さっそく木に登る

2017.11.12

「マガジンハウスに泰山館のことが出てましたよ」と泉事務所の所員さんが。
さらに「褒めてありましたよ」と僕の方を見てニコッとする。
それは見なきゃならない。建築家は褒められるのが大好き!
すぐに木に登ってしまう。
ところで泰山館とは、もう27年も前に設計した賃貸の集合住宅で、自分で言うのもなんだが、人気がある。
新築時から27年たった今でも、ほとんど家賃が下がらなく、不動産業界ではヴィンテージ物件と呼ばれたりしているようだ。
で、さっそく本屋に「マガジンハウス」を買いに行ったのだが、マガジンハウスという本はない、という。
2~3軒回ったがない。
帰って「そんな本ないよーッ」と所員さんに言ったら、
「ワハ、ハ、ハ、マガジンハウスという本はないですよ、それ出版社の名前、本の名前は、And Premium(アンド プレミアム)ですよー」

又、買い直しに行ったら、ありました、ありました。
「時代を超えて、いいもの」という特集で、
泰山館に建築家の方が住んでいて、その方の話や部屋を取材した丁寧な記事が載っていた。
建築家さんの話はこの建物の設計についてよく見ておられて、お褒めを頂いていた。
同じ仕事をするプロが実際に住んで褒めてくれるのは最高にうれしいこと。
それに建築家は表立って人の作品を褒めたりは滅多にしない。
それにもかかわらず紙面上で褒めて頂いたことは、この上なくうれしいことだった。

ロマネスクを訪ねて Ⅶ

2017.11.07

サン・ギレム・ル・デゼール修道院のあるギレムで泊まったホテルは、プチホテルとよく呼ばれる。
何百年も経った古い建物を改修したものが多い。。
建築史の専門家ではないから確かなことは言えないが、ロマネスクやルネッサンスの時代に遡ることができる建物ではないか。
そのような古い建物に宿泊できるとは、最高に幸せだ。
日本で言えば、室町、鎌倉時代の建物に泊まっているようなもの。
外観は前回紹介した写真の様に古い石積み。

しかし、石造とは言え、床や屋根などの水平方向に支えるものは木造でできている。
これは世界共通。
アーチの石積みで床を持たせることもあるが、多くは水平方向に木の梁を渡し床や屋根を支える。
天井を見上げると古い黒々とした梁が渡してある。
壁は多くの場合シックイ。
ビニールクロスのようなチャライ材料は使ってない。
ある意味、何もしてないと言えばそうなのだが、それで十分。

向かいの家が見える窓。

ベッドのシーツはきれいだし、シャワーもよく出る。
(たまにそうでないこともあるが…)
これで、何と1泊2~3,000円!
(ユーロになって、今はどうなってるか知らないが)
勿論、素泊まりだけど。
こういったことこそ豊かさ、じゃないのかな?

この旅は大まかな目的地を決めて出発したが、厳密なスケジュールはなく行き当たりばったり。
だからホテルも目的地に着き探すことになる。
フランスでは部屋を見せてもらい、気に入ったら宿泊を決めることができる。
このようなプチホテルを探しながらのロマネスクを訪ねる旅だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ロマネスクを訪ねて Ⅵ

2017.10.16

前回のサン・マルタン・ド・ロンドル教会から、
サン・ギレム・ル・デゼール修道院(Saint-Guilhem-le-Désert)へ。
ギレムは修道院も圧巻だったが、村も山奥の渓谷にあって美しい。

フランスでも有数の美しい村に数えられているらしい。
古い村で、スペインへのサンティアゴ・デ・コンポステラへ向かう巡礼者が立ち寄る聖地でもあった。
日本とは違い石造りだから、建物の寿命が格段に長い。
中世の世界に迷い込んだようだ。
ギレムの教会の前には広場があり、プラタナスが植わり、カフェテラスの椅子が並べられている。
ちなみに、奥の建物の3階、右側が僕の泊った部屋。
1階はバール。
(このフランス旅行で泊まった宿屋の話は次回に)


街中を歩いていると、こんな仕上げがさり気なくある。

金物の堀商店のレバーハンドルにこんなのがあったような気がするが、こちらがおおもと。

いよいよギエムの修道院です。
ベネディクト会の修道院で、11~2世紀に建てられた建築。
こちらは裏側で、修道院全体の様子がよくわかる。

教会堂の内部です。

小手先を使ったようなところが微塵もなく、ただ石を積んだだけのようにも見える。
だが、心揺さぶられる壁だ。
それは石の質感か、光か、石の積み方か、石工の気持ちが伝わってくるのか、そのいずれも、なのだろうが、
この良さを何と表現したらいいのか、なかなか言葉が見つからない。
静謐、何の衒いもない、いやいや、そう簡単ではない。
ル・トロネから始まり、このあたりに至ってもうロマネスクの虜になってしまった。

あ~、何と美しことか!

ロマネスクは造形的に美しいというだけの単純な世界ではない。
宗教が関与しているからか、人を包み込む優しさ、安心して何かにゆだねることのでる懐の深さがある。

You Tubeでギレムを見つけました。
2分15秒くらいから見ればいいと思います。

ギレムの街の様子

ロマネスクを訪ねて Ⅴ

2017.10.09

前回までは、ニースから車でエクサン・プロヴァンスの街、山岳地帯にあるボニューの街の絶景を眺めながら、「プロヴァンスの三姉妹」の修道院を見るところまででした。
そこからもっと西へ。
「アビニオンの橋の上で」という歌で知られているアビニオンへ。
アヴィニオンではやはりロマネスク時代の教会、街中などを。
さらにアルルではゴッホが入っていた精神病院などを見る。
精神病院を見たのは、確かゴッホが描いた精神病院があったよなー、くらいの記憶があったからか。
建築的な期待をしてたわけではないが、何となくついつい。
しかし、昨日素晴らしい「プロヴァンスの三姉妹」を見た後だけにがっかり。
修道院をコンバージョンし、黄色いペンキを塗ったひどい建物で、見なきゃよかったと後悔。

ここにゴッホの絵があるわけではない。
やはり旅は、これっ!と思ったものを見るのがよい。

つぎにアルル近郊のサン・ジル教会(SAINT-GILLES)。
サン・ジルは立派な門構えのロマネスクの教会。
それに門の前にも立派な階段がある。
この階段に腰掛け、僕ら4名の御一行様は、フランスパンと水だけの昼食をとる。
この頃、超貧乏というわけでもなかったのだが、背中にロマネスクの堂々とした教会、見上げると南仏の明るい空、階段に座って食べたパンの美味しさが24年後の今でも記憶が残っている。

入り口の上にはやはりたくさんの図像が彫ってある。

 

真ん中あたりには「弟子の足を洗うキリスト」がある。

モンペリエを通過し、サン・マルタン・ド・ロンドル教会(SAINT MARTIN DE LONDRES)へと向かう。

 

円形のアプスや軒のジャバラなどはロマネスクのおおらかな形態が残ったいい建物だが、周りに良くない部分も混在している。
この教会は200年くらい前に大改修をやったらしい。
帰ってきてわかったのだが、この建物のオリジナルな部分は、この後に見ることになるギレムの修道院の修道僧によって作られたものとか。
ギレムはこの旅で見た3本の指に入る素晴らしいロマネスク建築だったが、なるほど、ギレムと同じ人たちが作ったのなら、改修の前は相当よかったんだろうな、と想像できる建物だった。
いい建物を後世に改修し、ダメにしてしまうのはいつでも、どこでも同じことなのだろう。
作った者たちの思いれを理解しない人間が今でも横行している。

このあたりの街で見た住宅です。
フランスだなー。

 

まだスマホ使ってんですか

2017.09.28

最近、電車の中で新聞を読んでいる人はまず見かけなくなった。
が、本もそうで、読んでいる人も思いのほか少ない。
ちょっと前までは結構いたような気がするんだけど。
スマホでなく本を読んでいると時代遅れ?とまでは思わないけど、読んでいる人は熟年が多い。
周りを見渡すとみーんな、スマホ。
そしてスマホの世界に入り込んでいる。

実は、現在ガラケーを使っているが、一時スマホを使っていた。
スマホの出始めの頃で、便利そうだな、とついつい新しい物好きの癖が出た。
しかし使い始めて、これ頭がどうにかなってしまうんじゃないの、と思った。
スマホを触るとダラダラとした時間が過ぎていく。
しかも机に座っているときは、いつもPCとにらめっこで、
さらに電車に乗ってもPCと同じスマホじゃ、頭がおかしくなってしまう。
ということで、またガラケーに戻った。

電車の中ではみんながスマホをいじっているが、
今は、一人でどうだとばかりに、本を読んでいる。
それが気持ちいい。
だから結構、本を読む。

そうしたら、面白い本に出合った。

『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』という題名の本で、クンデラの『存在の耐えられない軽さ』をもじった題名だと思うが、これがなかなか面白い。

スマホ(ネット)がダメ、と簡単に言うのではなく、話し言葉、書き言葉、ネット言葉と、言葉の変化をギリシャから現代まで歴史的に考察したネット論だが、話は印刷技術、宗教、国家、近代、紙幣と話が広がる。
それどころか建築空間と言葉の関係にまで及んでいる。
さすが芥川賞作家、文章も読みやすい。
へーそうか!と、あたかも膝を叩くように、感心しながら読んだ、面白い本。


 

ロマネスクを訪ねて Ⅳ

2017.09.24

「プロバンスの三姉妹」と呼ばれる三つの修道院がある。
一つは前回紹介したル・トロネ、それにシルヴァカーヌ修道院とセナンク修道院。
いずれもシトー派の修道院で、12世紀に作られた、つとに有名な修道院である。
この三姉妹の修道院のあるプロヴァンスは自然も豊か、いい季節も重なりとっても美しい。
 車の中の4人は、左右の風景を見ながら、もう有頂天。
右側を見ると、青々とした麦畑の向こうに、多分セザンヌが描いたサント·ヴィクトワール山だろう。麦畑の中にポピーの花まで咲いている。

フランスは農業国だと言われるが、本当にそうだと実感できる。

またバカンスの国。
車がカーブすると突然山岳都市が現れた。近づくと古い、多分何百年も経っていると思しき建物が、よく見るとまだ立派に使われている。このあたりの建物はバカンスに来る人々にも使われているらしいとのこと。
何か豊かだよね~!と思わず言葉がもれる。

そのような風景を見ながらシルヴァカーヌ修道院に着く。
柱がカーブしていて石の重ったるさを感じさせない。

さらに進んだ先のセナンク修道院です。
手前はラヴェンダー畑。

セナンクの地下室。
どういうわけか、上の聖堂もいいが、地下がすごい。

シトー派の修道院には回廊がつきものだが、もちろんトロネやシルヴァかーぬ、セナンクにもある。
この回廊を見比べるのが面白いことに気づいた。
この後にもいろいろな回廊が出てくるが、柱が2列だったり、それがずれていたり、リズムが入っていたり、また回廊のコーナーの納め方がそれぞれ違っていて面白い。
恐らくコーナーの納め方には苦心したのだろう。

まだ旅の始め、シトー派の修道院の配置計画や、これまで知らなかった石のテクスチャー、石が生み出す光など、少しづつ見え始めてきたが、旅はこれから、まだまだ。
ただただ、すごいな~、これすごいよ~と同行の建築家たちは声が弾む。

ロマネスクを訪ねて Ⅲ

2017.09.11

ニース、コートダジュール空港でレンタカーを借り、さー、まずはル・トロネへ。
西に向け高速道路を走り始める。
左下に世界的なリゾート地、ニース、カンヌの見るからにリッチそうな海岸や街が通り過ぎる。
だが、無視。
我々は、ロマネスクを見に行くのだ‼とばっかりに、高速道路をひた走り。
ル・トロネは建築家の間では有名な修道院建築。
何故有名かと言えば、ル・コルビュジェが彼の代表作の一つであるラツーレット修道院を設計するにあたり、参考にしたことかららしいのだが、そんなことはどうでもいい、僕にとっては違った理由があった。
フェルナンド・プイヨンという人が書いた、「粗い石」という本がある。
ル・トロネを建てた工事監督の日記という形で書かれている。
修道士でもある建築家が人間の弱さやモノと格闘し、さまざまな矛盾に責めさいなまれる。
といった精神的格闘だけでなく、技術、予算、今で言うプログラムの解決は今の私たち建築家と同じ地平にあり、身近に中世の建築を感じることができる。
建築の名著の一つ。

前回紹介したミシュランを頼りに、目指すLe Tholonet(ル・トロネ)はニースから180Kmくらい離れたところにある。
Le Tholonetに着いて、いよいよトロネを見ることができると、ワクワクしながら探すがなかなか見つからない。
村の人に、Abbaye!Abbaye!(修道院)と言って尋ねたが、指さしてくれる協会は写真で見たトロネとは似ても似つかないもの。
何処を見回しても写真で見たトロネがない!
ミシュランで来たのに、何故ない?
不安感がモウモウと立ち上がる。誰もフランス語ができないグループ。
もう一度地図を見たら、このLe Tholonetと出発したニースとの間に、Le Thoronetがある。
なんとlとrを間違ってたのだ!!!
また高速道路を出発したニース方面に引き返す。
東京から三島あたりまで引き返すことになる。

Le Thoronetに着いたのは午後、遅くだった。
ヨーロッパは日暮れは遅いと言っても、もう薄暗くなり始めた頃だった。

でもいいこともある。
おかげで観光客もほとんどいなく、静か、ひっそりとして我々が貸し切ったようなもの。

我々4人は静謐なトロネの世界に包まれた。

ロマネスクを訪ねて Ⅱ

2017.09.01

最初にロマネスク建築を見たのは1993年。
もう24年前になる。
レンタカーを借り、建築家4人での旅だった。
車の前に二人、後ろに二人座って、行きたいところに行く自由な旅で、この旅があまりにも楽しかったから、数年後に、この同じメンバーでスペインにも出かけた。

ロマネスク建築を見たいと思ったのは建築雑誌(多分SDだったか)で特集が組まれていて、何かビビッと感じるものがあり、是非これを見たい!と思ったのがきっかけだった。
と言っても、どこにどうやって行けばいいのかわからないので、とにかくまずはいろんな建築や美術書をあさることから始めた。
そうやっていたら、どうもロマネスクの中でもシトー派の建物がいいらしいということが段々とわかってきた。
それでも実際に行くとなると、もう一つよくわからない。
この旅の決定的に重要かつ貴重な情報を教えて頂いたのは、そのころ武蔵美の先生をやっておられた馬杉宗夫先生だった。
焼き鳥屋だったかで、フランス全土の地図に、ここは、という建物の場所をプロットしてもらった。やはりその道の大家に教えてもらったことがよかった。

で、フランス全土の地図での大まかな場所はわかったが、車で旅することになると詳しい地図が必要になる。
そのころはまだカーナビがなかったので、頼るのは地図しかない。
この旅行の前にイタリアへバックパッカーのような感じで行ったことがあったが、その時の道案内に使ったのが、ミシュランの道路地図と、ミシュラン・グリーンガイド。
この二つがあると、どこでも行くことができることを知った。
しかもミシュラン・グリーンガイドの教養レベルは相当に高く、日本のミーハーなガイドブックとは全く違うもの。
しかも、ミシュランの道路地図と、グリーン・ガイドブックは連携していて、遠くの町までは道路地図で、その町に辿り着いたらその先はガイドクックを頼りにすればよいように、論理的に整合性が取れ、地図を信頼してその通りに進めば、確実に目的地にたどり着くことができるようにできている。
さすが、デカルトを生み出した国、と思わずにいられないものだ。

でも残念なことに以前はこの南フランス―プロバンスのグリーン・ガイドブックの日本語版が出ていたが、今では絶版になっている。
でもAMAZONの中古で今でも手に入れることができる。
いい本なので今でも求める人が多いようだ。


 

これに次のこの地図があれば鬼に金棒というわけ。
Atlas Routier France 2014 Michelin Compact Spirale

旅は各ロマネスク教会の目的地と、大まかな日程を組んで、フランスはパリ、そこからニースへ飛んでレンタカーでの2500km旅が始まった。

「家づくり学校特別公開講座」のお知らせ

2017.08.25

今建築界で松村秀一さんの著書「ひらかれる建築-民主化の作法」が大きな話題を巻き起こしています。

その松村さんを迎え、泉が校長をやっています「家づくり学校」で、10月15日(日)に特別公開講座を開きます。

興味のある方は是非のご参加を。

申し込み方法など詳しいことはこちらへ。

http://npo-iezukurinokai.jp/event/lecture/4106/

ロマネスクを訪ねて Ⅰ

2017.08.22

西洋建築で好きなのはロマネスク。特に西暦1000年から1200年ころのフランスの修道院には心を揺さぶる美しさがる。

初めてフランスのロマネスク建築を見たのは1993年、もう24年も前。

これまでの海外旅行で最も感動した旅だった。

感動は自分が全く知らない世界を始めて体験した時に訪れる。ロマネスクの中でもフランスのシトー派の修道院建築は、僕が知らなかった新しい世界をプレゼントしてくれた。

今、ロマネスクについて書いてみたいと思ったのは、「石と光  シトーのロマネスク聖堂」という写真家、六田知弘さんの素晴らしい写真集に最近出会ったからだ。

 

ロマネスク建築は建物の多くで石の肌をそのままむき出しにしている。

建築の材質は石のみ、と言っていいくらい。

私たち日本人にとって、石でできた建築は人を撥ねつける硬質なものと思われがちだ。

しかし実際に見たロマネス建築は全く違うものだった。

硬さを感じるどころか、石の肌合いは優しく、石でできた空間は優しい光に包まれ、人を優しく抱いてくれるものだった。

六田さんの写真集はそのようなロマネスク建築の世界を十分に表現している。

 

これから数回にわたってロマネスクの旅について紹介したい。

本当は六田さんの写真を使うことができればいいのだが、著作権があってそういうわけにはいかないから、泉の写真で我慢していただきたい。

 

 

プロ野球観戦

2017.08.11

昔は巨人の大ファンだった。
長嶋に江川、桑田と応援してきたが、
何時の頃からアンチ巨人になり、
それどころか今やプロ野球そのものにチッとも興味がなくなってしまった。
それなのに、「泉さんプロ野球見に行かない?」とのお誘い。
しかもそれが西武球場での西武戦。
ほとんど、まったく、と言っていい位にどんな選手がいるのかもわからない西武なのに、行って見ようか、という気になった。
というのは、西武球場の設計者が池原義郎さんだからだ。
池原義郎さんは所沢聖地霊園など所沢周辺に名作をたくさん残されているし、私の拙作を見に来て頂いたこともある。
とっても品のある設計をされた方だった。
つい最近、今年の5月に亡くなられた。

西武球場は素晴らしかった。
後楽園には何度か足を運んだことがあったが、大違い。
ちゃんとした建築家がやると、
野球場だってこんなに良くなるんだ、ということの見本みたいなものだった。
野球場に入ると、いきなり下方に球場全体が見渡せる。

そして、球場全体をぐるりと囲うわずかな勾配を持った通路を歩き、
目的の席にあたりに来たら、下へ下って自分の席に至るというもの。

目的とする席までシンプルな導線計画になっている。。
ドームの屋根は下までかけずに、隙間から緑の木々が目にいり、
自然に囲まれた中での野球観戦だ。

大学の先生たちとの野球観戦だったが、
時々は野球を見たが、建築を見に行ったのか、ビールを飲みに行ったのか、よくわからない、とっても楽しい野球観戦だった。

 

台湾紀行 Ⅶ 最終回

2017.07.30

台湾はリラックスできる。

普通、海外旅行というと、異国ということもあって多少の緊張感を強いられるものだが、不思議と台湾にはそれを感じない。

中国や韓国には何度も足を運んだ。これらの国は台湾と同じくかつて日本が植民地としていた国だが、いまだその後遺症が続き、反日感情が強いことを、肌に何度も感じた。

しかし、今回初めて台湾を訪れ、台湾にもそのような反日的感情が残っているのではと思っていたが、意外なほどそれを感じなかった。

確かに、日本は戦前に台湾に有能な技術者を送り込み、インフラの整備を図ったり、このブログでも書いたように、台湾帝国大学を作るなどして、台湾の近代化に貢献したと言われる。またその後の二・二八事件などもあり、日本の植民地支配は罪一等が減じられた感がないとも言えない。しかし他国の植民地化など決して認められるはずのないものだ。

この写真は台湾大学の図書館の書架を映したものです。

この書架の本を手に取って読んだわけではないが、
本のタイトルから、そう単純な話ではないことが読み取れる。

 

ところで、台湾に行く前にたまたま読んでいた本です。

 

「アジアの終わり: 経済破局と戦争を撒き散らす5つの危機」マイケル・オースリン著です。

台湾ではリラックスできたが、他の国ではそうでもない。
何故、アジアの国々の関係は敵対的であることが多いのか、そしてアジアは緊張に満ちている。

なぜEUのように行ったり、来たりできないのか。イギリスの離脱もあったが、フランスは留まり、EUにはまだ知性が保たれている。
是非私たちの平和のために読んでもらいたい本です。

台湾紀行Ⅵ 食事

2017.07.23

台湾は料理がおいしい、と旅行した人、皆が言う。
と言われても行ってみないとわからない。
うん、やっぱり、美味しかった。
それも、特別のレストランでなくとも、そのあたりの食堂のメシがおいしいのだ。
台湾大学前にある店で学生がよく来るようだ。

店先でテイクアウト、そういう学生の食べるものも美味。

その横にあった有名らしいタピオカの店。


このタピオカは絶品だったのだが、地下鉄の乗り口で、ここから先は飲食禁止の表示。
「郷に入れば郷に従え」で、残念ながら、美味しいタピオカを最後まで飲み干せなかった。台湾ではホームでは飲食禁止なのだ。


こんなエビ、カニを主にした顎が落ちるほどおいしい高級台湾料理も食べたが、

一番美味しかったのは、街の食堂で食べたお昼のこの料理。

こんなお昼を毎日食べたいなー。

百歳、百歳 万歳!

2017.07.17

親族のことで恐縮ですが、母が100歳の誕生日を迎えました。
長生きしてくれてほんとに、うれしい。
子供や孫が集まり、お祝いの会。


母は詩吟をやっていて、若いころはコンクールで何度も入賞した経験あり。
お祝いの会では2曲披露してくれた。
100歳、さすが音程はくるっているが、後半尻上がりに調子を出し、気力は充実。

黒田節です。


200歳まで頑張るとのことで、その時は又吟ずるとのこと。
この気力が長寿の秘密のようだ。
まだまだ頑張ってもらいたい。

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